MAMMO.TVについて

雑報 星の航海術

今日は僕がインタビュアーを務めている「考える高校生のためのサイト MAMMO.TV」について書きたい。

というのも、このところ「MAMMO.TVを読んでますよ」という声をネットで、あるいは直に聞く機会が増えているからだ。2001年にスタートして以来、「読み手に求められている内容になっているだろうか」と悶々としたこともあっただけに、読者から感想を聞くのはとてもうれしい。

サイトを主宰されている古藤晃さんは、かつて河合塾の名物講師として鳴らした方で、「受験勉強だけが人生ではない」との至極まっとうな考えから、若者に向けて情報発信サイトを立ち上げられた。
サイトを見れば一目瞭然だけど、広告がついておらず、それで10年もやり続けるなんてすごいとしか言い様がない。

それにしても年末からいまを見越したように上原善広さん坂口恭平さん七尾旅人さんに取材し、震災後は飯田哲也さん河野太郎さんに話を聞けたのは、とてもラッキーだった。

取材数はもう300人に近くて、それぞれの方に思い出はあるけれど、先日、川本真琴さんの曲を耳にして、寝癖のついた髪で現れたときのことを不意に思い出した。

川本さんのデビュー曲「愛の才能」を聴いたとき、「これは橋本治のいう“スカートをはいた男の子”の歌じゃないか?」と感じた。

“スカートをはいた男の子”というのは、性同一性障害なんかではなく、僕なりの理解でいえば、

「自分が女であることが自明とされていることに関して、そんなのちっとも自明じゃないし、そういう自分をめぐる一切合財の問題を“やーめた”とも言えないところにいることはわかって、でも現実に追い付かれたくなくて、駆け出して、疾走しているあいだだけ問題を追い越せるみたいな感覚」

を保持している少年のことで、それを確信したのは「1/2」だった。

かわりばんこでペダルを漕いで お辞儀のひまわり通り越して
ぐんぐん風をのみこんで そう飛べそうじゃん

このフレーズに感じたことを川本さんに尋ねてみた。
すると彼女は「男とか女の立ち位置に関するルールというのがわからないんです」と言い、「あながち自分の見立ては間違ってなかったかも」と思ったものだ。

サイトが始まった2001年当時、僕にはライターとしての実績はほとんどなく、おまけに口下手であり、インタビューイを盛り上げたり、ウィットに富んだ質問もできない。(それはいまも変わらないけれど)。
ともかくインタビュアーの適性に欠いていたわけで、そんな人間をよく使おうとしてくれたものだ。

コミュニケーションに難点がある自分を知っていたから、質問の精度で勝負するしかないと思い詰めていた。
だから取材前は大宅壮一文庫に行き、取材対象者の発言を片端から調べ、著作があればすべて読み、質問を50個くらい考え、取材の場をシミュレーションした上で臨んだ。

精度というのは、たとえば「何度も聞かれている凡庸なことを尋ねない」「相手がこれまで考えたことがなく、即座に応答できないような質問をする」 といったものだ。

前者については、いつも尋ねられている内容を改めて話さなくてはならない人の気持ちを想像すれば即座にわかるように、退屈きわまりないからだ。
それに、もしも聞き慣れた内容を確認するためだけに取材をするならば、僕は相手の時間を一方的に奪っていることになる。

後者については、「即座に応答できない」からといって嫌味な質問を無遠慮にぶつけるという意味ではない。(ちなみに僕は一度だけ週刊誌で取材記事を書いたことがあるけれど、時事ネタを追う現場では「相手の嫌がる質問」をしなくてはならず、それが大変苦痛だった)

「即座に応答できない」というのは、いわばリターンエースを決めにかかるようなものだ。
特に学者や政治家など特定の見解を口にすることに普段から慣れていて、レコーダーの再生みたいに滔々と話す人がいる。そういうときにハッとさせるような、相手の想定を裏切る質問をひとつだけでもするように心がけた。

笑いが起き、和やかな(あるいは緩いと表してもいいが)応答で時間が流れていくことからすれば、話がふっつりと途絶えてしまう事態の発生は、まごついた、居心地の悪いことかもしれない。

けれども言い淀んだりする中で紡がれる言葉には、滑らかな口ぶりから零れてしまう、伝えようとする気持ちが十全に込められるのではないか。そんなふうに思った。

その頃、僕が仕事に限らず思っていたことがあって、それは「人は偏在して生きざるを得ない。だから、いかに奪わないかの工夫が必要なのだ」ということだった。

取材をするとは、相手に貴重な時間を割いてもらっているわけで、それが収奪にならないためにはどうすればいいのか。

初めて出会った者同士が時間を共有した場で、両者とも思いもよらぬ言葉がそこに現れたのなら、とても創造的な時間になるのではないか。

そのために必要なのは、質問の精度だと思っていたのだが、あるときそれだけではダメだと気づかされた。MAMMO.TVの初期に登場いただいた現代美術作家の森村泰昌さんにお会いしたときのことだ。

いつものように質問を考え、取材に臨んだのだが、インタビューが始まってしばらく経つと森村さんは、質問をしようとする僕を遮った。

「あなたが私についてたいへんよく調べていただいたのはうれしいです。でも、取材というのは質問を重ねていくだけのことではないはず。落語に枕があるでしょう。話のきっかけは天気の話だって何でもいい。そこから次第にほぐれて話が運ばれていくような手順というものがあるでしょう?」

僕は緩やかな離陸ではなく、ハリアーのように垂直離陸をしていたわけだ。

初めて会った同士が信頼を取り結ぶには、「いろいろ考え練ってきた考え」を投げるだけではなく、「この人と話すのは楽しいな」という気分がその場に醸成されなければ、胸襟は開かれない。

森村さんのアドバイス以来、僕は「落語の枕」を念頭に置いて取材に臨んでいる。

実際はといえば、「今日はいい天気ですね。明日も晴れみたいですよ。……じゃあ質問させていただきます」
といった具合で、ぎこちなさには変わりないけれど。