熱力学第二法則

自叙帖 100%コークス

「息もできない」を鑑賞後、その感想を友人らと話したときのことだ。友人はDVのストーリーだということを前提に話しており、僕は「え!そうだったの?」と愕然とした。

父への怒りを抱いて社会の底辺で生きる男と傷ついた心のうちを誰にも明かせない女子高生との出会いと別れを描いた作品だが、僕はあからさまに示されている背景をまったく汲み取っていなかった。「自分はDVへの感度を欠いているのではないか?」と思ってしまい、ずいぶんショックを受けた。

「母なる証明」や「グエムル」、あるいは「殺人の追憶」「シークレット・サンシャイン」にせよ、生きることと感情のほとばしりとの間に隙間のない作品を見ているうちに、「剥き出しの暴力に彩られた生の様式」が韓国社会のある側面を表しもしているのか、という予見を抱いてしまったことも、背景を読み取れなかった理由のひとつだろう。

つまり「異質な文化」という区分けをして、「異文化ならそういうことも自然にありえるか」と、「そういうこと」にしてしまった自分の内実の考察をしていなかった。どうやら主人公たちの怒りの発露が僕の死角になっていた。

僕は「怒り」という感情がよくわからない。いや、他人が怒っていることはわかる。けれども、「怒っていること」を額面通り受け止めて、その感情の中に秘められた「理解されないから悲しい」だとか「素直に非を認められないから怒る」といった心の“あわい”や“機微”がわからない。ものの見事に感情の絶縁体が働いている。

そんなものだから「怒る」のではなく、怒りの感情を説明してしまう。怒るとき、人はわなわな震えたり、怒声をあげたり、直接的、身体的な行動に出る。というより、出そうとして出すのではなく、表現されてしまう。(ものなのだろう?)

ところが自分ときたら「その怒りは、かくかくしがじかの理由から、自分に向けられることは、たいへん理不尽だと思う」あるいは「かくかくしがじかの理由からたいへん申し訳なく思う」と説明してしまうのだ。怒りに対して向き合っているつもりではあっても、まったくの捻れの位置にいる。

それに怒っている人に論理的に対処することほど、対手の怒りの炎をさらに燃え立たせるものはない。冷静な説明は、ときに人を軽蔑しているようにも見えるということを学んだのは、30歳を越えてからだ。嗚呼なんたる木偶の坊!

僕がこれまで生きてきた中で衝撃を受けたことは数多くあるけれど、近年もっとも記憶に残っているのは、友人に言われた一言だ。

ある日、ちょっとした話の行き違いで友人との会話が気まずくなった。取りなすとか話題を巧みに転換することが大の不得手なため、その日はぎくしゃくした空気のまま散開した。後日、彼女に会った際、「なんであのとき怒っていたの?」と尋ねたところ、彼女曰く「怒ることに理由なんてないわよ。怒りたいから怒るのよ」。

驚きのあまり口をあんぐり開けてしまった。「マジで?もっと早く知りたかったよ、その事実!」と思った。 彼女はといえば、僕のあまりのイノセントさ加減にほとほと呆れかえっていた。さぞかし怒り甲斐がないと思ったことだろう。
自分には理解できない怒りの奔出に立ち合うと、相手の心模様を慮ることも、怒りに怒りで向かうという素朴なコミュニケーションもできない。ただただ身が竦んでしまうのだ。そんなとき決まって思い出す光景がある。

あれは僕が9歳くらいの頃だったか。異常に几帳面で整理整頓好きの父に比して、僕より4歳上の兄は整頓というものに異様に頓着しない質であった。いまにして思えば、それは熱力学第二法則にしたがった均衡の然らしめたものではなかったかと思うのだ。

エントロピーの増大に耐えられない父は、怒りによって世界の秩序を取り戻そうとする。だからときおり兄が不在の折に部屋に入り、勝手に整理(まとめて)整頓(捨てる)。

その日は不運にも部屋に兄がいた。僕は風雲急を告げる情勢に怖れをなして、自室に逃げ込んだものの、やおらX JAPANのYOSHIKIのドラムのような抑揚はないがやたらめったらドコドコする音がしたので、おそるおそるドアの隙間から覗いてみたらば、総合格闘技のなかった時代に父は兄からテイクダウンを奪っていた。

元来、虚弱体質だった僕は、父が怒りの表情を見せるだけで発熱するのを常としており、マウントポジションの父を見ただけでまず平熱を5分は上げたと思う。

兄はなんとか立ち上がる。ガードの上から父が掌底を浴びせていた。やがて父は手が痺れたのか、そばにあったスチール製のミッキーマウスのゴミ箱を取り上げると、それで兄を打擲し始めた。

笑顔のミッキーは、次第に凹むにつれ、悲し気な表情に。ミッキーのもとの相貌がどのようなものであったかわからなくなった頃、父は兄の勉強机の引き出しを抜くと、それをもって兄の頭をうつ。引き出しは底が抜け、あたかもエリザベスカラーのように兄の首周りを飾った。

その夜、僕は高熱を出した。