センスなのか、マネーなのか。

雑報 星の航海術

バックミンスター・フラーの共同研究者であったK氏に聞いたことがある。

フラーは折に触れてこう言ったそうだ。
「センスを選ぶのか。それともマネーを選ぶのか。両立はありえないのだ」

そしてK氏に会ったとき、彼は僕にこう言った。
「インテリジェンスを選ぶのか? それともクリエィティビィティを選ぶのか?」

インテリジェンスとは「あれとこれは同じだ」と名指すことに勤しむ有り様。
クリエィティビィティとは「あれとこれは同じなのか?」 と問い続けること。

クリエィティビィティは、ただちに既成の職業に直結しない。
つまりはすぐさま現金化されることはない。だが生涯かけた仕事に、生業にはなりえるだろう。

そしてまたフラーは若者に向けてこうも話したそうだ。
「あなたが目的地へ行きたいのなら、それに対し直角の方角を行きなさい」

「急がば回れ」の回頭は直角の方向であるならば、彼は人生訓としてではなく、物理的な事実を示そうとして、そう言ったことになる。
これは直線という代物が、実は宇宙に存在しないのと同じ意味なのかもしれない。

「最短距離」と聞くと物理的な事実を表していると思いがちだが、「2点間を結ぶ最も短いい距離」とは概念上でしか成立しない。
ようは人間にとってだけの事実であって、世界の事実ではない。

地球から月へ打ち上げたロケットは、最短の直線運動で目的地へ向かうように見えるが、人間の認識に関係なく実際の運動は螺旋を、つまり連続的な曲線を描いている。

風と海流を読んでAからBへ向かう船の航路を見下ろすと、「|」ではなく「Z」の航路を海洋に描いている。

重要なことは、最短・最大・最速で目的地を目指す「現在の動き」は、目的地に向かう進路としては常に誤っていることだ。
しかし、そうでないと目的地に最短で辿り着けない。

対象はなんら変化していない。
観察する者がどこで何を見るか?によって見え方が異なる。

ところで政治、経済の分野では、昨今最短、最速の判断が正しさを弾き出す上で肝要だと喧伝されている。
だが、人は常に誤ることでしか目的に達せないことを忘れている。

「観察者はどこで何を見るか」を勘案するセンスが最も蔑ろにされている。