百貫デブ!

自叙帖 100%コークス

例年になく涼しい日が続いたかと思えば、夏に入る前に気象庁に予告されていた通りの酷熱が襲う。
「8月でこんなに暑かったら12月はどないなるねん」と古い漫才のボケのひとつも言いたくなる。

先日、奈良の東大寺へ取材に出かけた折、休みを利用し大阪は難波に繰り出した。書店で立ち読みなどして涼んでいると蒼井優の『今日もかき氷』に目がとまった。

すべてのパーツに面取りを施したような甘い丸みを帯びた蒼井優のことを好きな御仁も多かろうが、あいにく僕は沢尻エリカやジーナ・ローランズのようにエッジが利き、仁王立ちが似合い、かつ握力の強そうな人が好きなので、むろん『今日もかき氷』は蒼井優目当てではない。

かき氷に目が釘付けになった。

そういえば、毎夏恒例となっている赤坂の一ツ木通りにある甘味処、松月を訪れ、宇治抹茶金時白玉のせ練乳がけを食べる行事を今年はまだ果たしておらなんだと思い至った。

ひどく蒸していた日であったから、氷でも食べよう。それに折角関西まで来たのだから、ここは少し趣向を変えて中国スイーツの涼味など乙でよろしかろうと、糖朝に足を運んだ。

オリーブオイルにガーリック、ごま油に塩、かき氷には抹茶と僕の中の相場は決まっている。躊躇うことなく小豆抹茶ミルク氷を所望した。

今日日のかき氷はパウダースノーのような微細な氷やフレーク感を増した砕き方に趣向を凝らすなど、店によって様々な工夫があるが、糖朝のかき氷はそれらと違い頗るシルキーな舌触りで、実に驚いた。

どうやらココナッツミルクを凍らせたものを削っているようだ。小豆も砂糖控えめで煮ており、しかも冷たさに痺れた舌を休めるべく仙草ゼリーが底に見え隠れする。心憎い。

一杯を食べた後、給仕を呼びとめた。むろん「シェフを呼んでくれ給え」と手練のほどを賛辞するためではなかった。

僕は器を手に取りこう言った。

「おかわりください」
「“おかわり”でございますか?」

ウェイターは訝しんだ。
確かにかき氷はわんこそばじゃないけれど、あまりにうまいからしょうがないじゃんか。

 

二杯目を平らげ、余韻に浸っていると、満々と張った腹に気付いた。嗚呼やんぬるかな。またもやってしまったと臍を噛む。今年こそはTシャツの似合うぴりっとした体型を目指そうと思っていたのに。

僕は滅法甘いものが好きだ。だからすぐ太る。太りやすい体質であるのは、もともと肥満体だったというのもある。

どれくらい太っていたかというと、突き出た腹で足下が見えない。一年を通じて股擦れが生じるため、オロナインH軟膏は欠かせない。ベルトは腰回りを赤道とすれば、黄道の傾斜をもって腹をめぐっていた。

あれは小学校6年生の台風が接近していた初夏の頃であったか。放課後、つるむ仲間の少ない僕には珍しく、教室に残りクラスメイトらと遊んでいた。

巷間、子どもが騒ぐと雨が降るというように、低気圧が近づくと心中が不穏となり落ち着きを失う。
気怠さを晴らそうとする胸の内の騒ぎに心が乱れる。そんな経験を誰しもしているだろう。

気散じに級友らは女の子に冗談を飛ばし、ちょっかいをかけていた。ふざけることを以て親密さをはかろうとする友人を羨ましく思った。嬌声が湿度を帯びた教室に渡る。

もの憂いさのあまりの重さに押されてか、ふだんあまり積極的に人と関わることのない僕は、なぜかその日に限って、意中の子に向かって、友だちが口にしていた同様の冗談を言ってみた。

すると彼女はさっきまで見せていた様子と異なり、きっと向き直るやこう言った。
「うるさいなっ。百貫デブのくせに!」

気がついたら僕は教室を飛び出し、駆け出していた。やがて雨が降って来、目尻から滂沱と流れる涙は、顔を叩く雨とともに口に流れ込んだ。

百貫デブのくせに!がリフレインする中、僕はひたすら走った。

自分の記憶の中では、往来にさっと飛び出し、全速で駆けたということになっているが、おそらく人から見ればのそりのそりのジョギングだったろう。

なにせ肥満体だから。素早く動けるはずもない。

その日を境に痩せることを決心した。物忌みもかくやというほど、一切の甘いものを断ち、中肉になるまで体重を落とした。

もう体操座りをしても腹がつかえて手が膝にかからないなんてない。転んでも真っ先に腹を打つこともない。軽快に走れるって素晴らしい。うははははと獅子吼したくなった。

がしかし、一度身体についた癖はそうそう直るものでもないのか。高校生になると再び体重が増加し出した。膝を悪くし、運動ができなくなったことも一因にあったろう。

けれども、あのときの情けない僕とは違う。もう二度と誰にも百貫デブなんて言わせねぇよ、絶対。
「心に掛けぬお前の祈念を 永遠の俺の心よ かたく守れ」てなものである。

そこで敢行したのは、朝はまったく食べず、昼はほとんど食べず、夜はサラダのみという食事で、2週間で7キロ、1ヵ月で14キロ落とした。
どうということのない微風に身体がなびくようになったので、さすがにこれ以上はまずいと減量を止めた。ちなみに、このときの急激なダイエットのせいで妊娠線ができてしまった。

中年になると骨盤が硬くなり、腹筋が衰え、内臓が下垂し、腹が出る。別に僕は平子理沙みたいになりたいわけではないけれど、年をとったことを理由に弛緩を追認するようにはなりたくない。

越王勾践は苦い肝を嘗めて雪辱を心に期したという。僕は甘いものを味わいつつ、彼女の言い放った「百貫デブ」に時折どやされ、苦い思い出を浮かべてダイエットをする。時折方向性を間違えて美脚体操なんかもやってみる。

そして、アンチ・エイジングに終始しないジンテーゼ・エイジングなるものがあろうかと夢想するのだ