ひとりでできるもん! ただし失神が

自叙帖 100%コークス

JJ.サニー千葉こと千葉真一の「直撃!地獄拳」や萬屋錦之助の「子連れ狼」を観た影響からか。
はたまたナチュラル・ボーン・ファイターというか、人間として“強”の父や兄がそばにいたことから自衛本能が起動したせいか。子どもの頃から部類の武術好きだった。

「直撃!地獄拳」の趣向からすれば、ボクシングやマーシャルアーツ系に関心が向かってもよかったのだが、もともと尾形光琳や本阿弥光悦が好きだった上に黒薩摩の天目茶碗や日本刀の刃紋を飽きずに眺めたりしたクチなので(なにせクリスマスプレゼントに引立烏帽子を欲しがって母を困らせた)、日本的な美への関心の向け方が強く、したがってスポーツライクなものよりは、精神性を表現した日本の武術に強く引かれた。

加えて勝海舟『氷川清話』を読んだのをきっかけに、勝が若い頃、直心影流の稽古に励んでいたことから剣術に興味を覚え、次第に剣豪小説の類いを読むようになり、いつしか「昔の剣豪のような技を身につけることができたらなぁ」と夢想するようになった。

武道界の「ROCKIN’ON JAPAN」というよりは、「ムー」的な色合いの濃い月刊誌「秘伝」に取り上げられる武道家の中には「山中で謎の老人に出会い技を伝授された」といった、せちがらい現代とも思えない、たいへん夢のあるエピソードを語る人もいるけれど、そのような幸福な出会いがそうそうあるわけでもない。

武術を習いたくても町中に道場もない。そこで自分の思う武術とは違うが、親戚くらいにはあたるだろうと妥協し、中学に進学すると同時に柔道部に入ることにした。

しかしながら武術云々以前に、クラブ活動によって僕はいまに続く体育会に対する抜き難い偏見を抱くようになってしまった。意味不明なことがあまりに多過ぎたからだ。

「柔道を通じ、武道精神を涵養する」と顧問は言ったが、彼のいう武道精神とは「とにかく何も考えないで言われたことを行う人間を育てること」と、とてもがさつに解していたようで、まず練習前の柔軟体操からして喧しい。
「イチ、ニ、サン」とデカイ声を出しながらストレッチを行わなくてはならない。

声を出すことと柔軟性には何の関係もないし、そもそも柔道の前身は柔術であるが、往時の武士たちは事に臨んで準備体操などしたであろうか? そんなことをしているあいだに斬られるだろう。

とにかく練習中は「ファイト!ファイト!」とアホみたいに声を出し続け、声が小さいと「気合が足りない」と怒られる。

つまるところ「気合い入れろ」というのは、山本七平が言うところの「空気」の問題で、ようは「オレたち、いま懸命にやっています」を見せる演出に過ぎない。

演出と柔道とはまったく関係がないことは13歳の頭脳でも理解できるのだが、これがなぜ人生経験のある教師には理解できないのかはなはだ疑問だった。
疑問を口にしようものなら即座に殴られる。当時は体罰が大いに励行されており、少しでも顧問の理解の範疇を越えるような振る舞いをするとビンタされる。

たとえば先輩が筋トレのためダンベルを持って来た日など、顧問は「おまえはダンベルを買えないものの気持ちがわからないのか!」と訳のわからない怒り方をし、打って休んでのカスタネットみたいに説教とビンタを30分くらい続けた。
そのとき僕は「『兵隊やくざ』の世界ってノンフィクションなんだな」と思ったものだ。勝新太郎みたいに暴れてやればよかった。

武道精神を喧伝するもの。伝統を宣揚するものは、その振る舞いによって精神と伝統を劇しく損ねている。
この法則はいまでも通用すると思っているが、ともあれ武道に携わるものの表を飾る言葉と実質の懸隔について大いに知ることになった。

精神とは、「目には見えない神妙な働き」を指すが、目を凝らすより曇らせるほうに仕向け、ひたすら鈍感さを強いて行くことを鍛錬とする教育にもしも効果があるとすれば、それは精神の破壊においてだろう。

そして自己とは環境からつくられていくものであり、環境を形成する文化とは慣習に基づく規範であり、つまりは社会的な癖にほかならない。
伝統の意味するところを問う眼差しがなければ、たんに偏向した価値観を抱く人間しか育てないだろう。

古の武士たちの記したものを読み、足跡を尋ねるに、おそらく鍛錬とは微細に透徹した感覚を自己の中に見出す行為に思える。峻烈さとは、その見出す課程においての形容であり、大きな声を出して罵倒すれば実現するものでもない。

あまりのつまらなさに退部しようと思ったが、せめて技のひとつも覚えてからにしようと練習したが、一年生の間はまずは受け身からでそうそう技を教えてもらえない。投げられ役に徹するのが練習のすべてだった。

あるとき部活の顧問が出張で不在で、先輩たちはいつになく伸び伸びとしていた。彼らはウキウキついでに中学生には禁じられている絞め技をふざけて一年生にかけていった。

奥襟を掴んだ手首を返して頸動脈を圧迫するのだが、見よう見まねの上にふざけてのものだから失神するものなどいない。
けれども僕はあっさり失神した。つるべ落としに陽が沈むような、閉店ガラガラとシャッターが閉まるような、そんな感じで視界が遮られたかと思うと、次に目にした光景は、先輩をはじめとした部員が僕を覗き込んでいた様子だった。

先輩たちは驚いて、「おまえ、ちょっと休んでろ」と命令口調ではあっても、どこか下手に出る響きを滲ませていた。
白目を剥いてぴくぴくしていたというから、さぞかし不気味だったろうし、取り返しのつかないことをしでかしそうになったかもしれない。そんな思いがあったせいだろう。

失神した瞬間のことは、意識を失っているわけだから覚えているわけもない。再び意識を取り戻してから、意識があったときとなくしたときの「あいだ」にほんのわずかに横たわる暗転した時間を思うと、いさかの恐怖はあっても睡眠とは違う別のところに跳躍していたような、そんな感じがして不愉快な気分ではなかった。だから、そのときの感覚がもう少し知りたくて、自分の首を締めてみた。

周りの目撃談によると、立って首を絞めていたと思ったら、ドターンとひっくり返ったそうだ。我ながらアホだと思うけれど、自分の首を首を絞めて失神してしまった。

後年この話をするとこぞって嘘だと言われる。「苦しさに普通ならば手を放すだろう」と。

それでいうなら痛いのはわかっているのに、あえてそれをする切腹のほうがよほどおかしいだろうと思うのだが。

あのときの心持ちはよくわからない。
でも、限界を超えたときに見えて来るもの。彼方に対する興味がひどくある。たぶん、失神はその端的な現れだったように思う。