名前の理由-その2

自叙帖 100%コークス

「どっか見学に行った?」と入学早々のキャンパスでは、おもしろそうなクラブやサークルに関する話が友だちのあいだで交わされる。

いまはどうか知らないが、当時はテニスをしないチャラいテニスサークルが乱立しており、いろんなところから入会に誘われる中、僕がまっさきに体験入部したのは、体育会の合気道部だった。
開祖・植芝盛平のような動きが再現できるカリキュラムがきっとあるんだろうと思っていたのだ。

精妙な術理を極める武術というのは、「できねば無意味」という一点において、弟子が師を否定することもある。
実力がものをいう世界であり、本来ならば体育会のノリだけで当座をしのぐことに血道をあげるやり口と真っ向から反対の、クリエイティブな行為に溢れているはずだ。

しかし、私が体験入部した大学の合気道部は、「武とは何か?」について研鑽する機会もなく、求められたのは先輩が来る前に廊下に案山子よろしくずらりと並び、上級者が通るたびに「押忍」とか「おつかれさまです」と言わなきゃならない、合気の技とまったく関係ない行事に通じることだった。

練習になるとひどさはレベルアップし、空気を読んで技にかからないといけない、かかったフリをしないと先輩後輩の関係が成立しないという、心技体を練る稽古から一億光年は離れている内容に、これまたバカバカしさを覚え、一週間もしないうちに行くのを止してしまった。

代わって、よほどの格闘技通しか知らないであろう全日本体術連盟のサークルに入った。(マニアしか知らないことを前提にさらに書けば、北斗旗の試合で黒の道着で両手ぶらりのノーガードでくねくね動いてはバックハンドでKOを決めていた選手のいた組織です)

脱力から瞬間的に緊張することで打撃力を高めるといった、いまなら自分の体感とまったく相容れない理屈をもとにした格闘技だが、筋トレや走り込みをせず、短時間で相手を仕留めることを心がけているところが性に合った。意味のない根性とか努力、忍耐が大嫌いなんです。

体術を始めて早々、「東京で試合があるから出てみないか」と言われ、「何事も経験だ」と遠征したものの、会場に着いてはじめて自衛隊との交流試合だと聞かされ、少年工科学校と防衛大学のごつい学生にボコボコにされた。
わざわざ殴られるためだけの1泊2日の旅路で得た感慨と言えば、「自衛隊ってやっぱスゲェな」というアホみたいなものだった。

さて、その後の学園生活は、日本拳法部に出稽古に行き、顎の肉の一部がえぐられるという経験をしたり、ボクシングジムに通い始めるなど、格闘技バカまっしぐらとなるのだが、その一方で僕は先述の朝鮮文化研究会に行くようになった。

朝鮮文化研究会の先輩に初めて会った時、彼らはサークルの趣旨として「在日コリアンとしての自覚を促す」云々と言っていたけれど、その後、部室に遊びに行っても、前口上通りの有意義な話など一切聞いたことがなく、ハマショーとかB’zとか趣味の悪い曲のかかる中、缶コーヒーやチキンカツ定食を賭けてチンチロリンに興じるという、およそ民族心の自覚と発露にほど遠い光景が連日繰り広げられていた。

でも、僕にすればこれまで、いわゆる「同胞」と呼ばれる在日コリアンと密に接触したことがなく、こうして目の前にいて、他愛のない話で「ふへへ」とだらしなく笑っている場に居合わせることは、約60万人いるとされた在日コリアンの数字や統計だけではわからない、息遣いに触れる体験であり、それは存外悪くなかった。

友人たちに「最近どこかのサークルに行った?」と尋ねられると、「朝鮮文化研究会だよ」というようになったが、決まって「なんで?」と聞かれるようになる。
それもそのはず、いまみたいにカフェや電車の中でたまたまそばに座った人が東方神起について熱く語る光景に出くわすなど、想像もつかなかった時代だ。

朝鮮半島に興味をもつ人は、根本敬か学術関係者のようなマニアであり、「中村」といった、きわめて日本人っぽい名をした人物が朝鮮文化研究会といった、そもチョーセンという語感からして、スレスレな感じのサークルに顔を出すとは、“?”以外のなにものでもなかったのだろう。

そこでかつてダウンタウンの「ごっつええ感じ」のコント「トムとマイク」みたいな会話が繰り広げられる。「オレ、ほんまは日本人ちゃうねん」と。

なぜ?と尋ねられるたびに「実は〜」と答えることが面倒になり、僕は学籍の登録名を中村から尹に変えることにした。

民族心の発揚という立派な名目からではなく、「面倒臭い」という身も蓋もない理由から、あっさり名を変えた。

そのことに抵抗はほとんどなかったものの、他の在日コリアンにとって必ずしも容易なことではないことが、他大学の朝鮮文化研究会に顔を出している学生らと話をするうちにわかるようになった。

彼ら彼女らにとり本名を名乗るとは、賤視を引き受けることと同じであり、それはなにほどか覚悟を必要とするものだった。本名を名乗れない心の内を涙ながらに語る子もいた。

ある子は「名前を名乗れない雰囲気がある」と嘆き、周囲も彼女に同情を寄せていた。

旧植民地の流民の子だ。だからといって、この地上に差別されるために生まれたわけではない。
貶めにかかる眼差しをわざわざ真に受けて、ビクビク生きる必要などなく、誇りをもって強く生きていかなくてはならない。

ひとくさりそんな話がされた後での「雰囲気」発言に、僕は鼻白んだ。

挫かれた誇りを取り返すために、現実とやらが強いる価値を跳ね返す思想が意味をもつこともあるだろう。
でも、それはお経よろしく唱えれば効力を都合よく発揮してくれるものではない、護符みたいに貼っておけばいいものでもない。

身体張って体現しなければ意味がない。雰囲気程度、自分の身体で突破してみせなくては、現実は何も動きはしないだろう。

どだい、僕は誇りというやつを軽々に口にする徒輩が苦手だ。コレクターアイテムじゃないなんだから、誇りなんて「もとう」と思ってもつものでもなければ、「私は◯◯人であることを誇りに思う」などと自己申告する類のものでもない。

まして、誇りをもてる条件を数え上げて、「〜を知っているから」「〜をしているから」といった、根拠ならぬ言い訳によって支えられるようなヤワなものでもないはずだ。

たぶん誇りは、他人がある人の佇まいや行為にうっかり見出すもので、当人が手を挙げて「私、もってます」みたいに言えるものとしては存在しない。

侮りや蔑みに対し、おもねらず、卑屈にならず、一歩も退かず、かといって相手と角逐するためだけに自分を費やさない。
そこが問われるときに、そうあれる自分であったとき、他人はその人に誇りを発見するかもしれない。

身体を張らなきゃいけない局面で「できねば無意味」なのが、誇りが指し示そうとしていることなんだと思う。
そんなたいそうな思いで本名を名乗ったわけではないけれど、後年、いろいろと試されることにはなった。