奇妙なデート

自叙帖 100%コークス

先述の恋人と付き合い始めて数ヶ月の初夏のある日、年中無休で仏頂面の親父と差し向かいで朝食をとっていた折、なぜか「奈良に行こうと思うんだけど、どこかいいところ知っている?」と尋ねた。ドラマで見たような会話の切り出し方に自分でも驚いた。

たぶん彼女と「こんど奈良へ行こう」という話をしていて盛り上がったせいだろう。

バビーン!という効果音が似合いそうな広目天

広目天みたいな顔で親父はいう。「なんでや?」と。

「いや、実は彼女ができて…」というや、親父は相好を崩すとはかくやと思わせるような(ひどく不気味に)にこやかな顔となり、
「ほう、じゃあ今度連れて行ってやろう」と頼んでもいないのに、添乗員を買って出た。
そういうつもりで言ったのではなかったのだが。

幸い彼女は「お父さんと行けるなんておもしろそう」とポジティブシンキングで捉えてくれたからよかったものの、息子のデートに親父がついてくるなんてあまり聞いたことがない。

難波で彼女と落ち合い、一路奈良へ。
車中、親父はノリノリであった。その快活な調子がどこからやってくるのか摩訶不思議だった。

ひょっとしたら僕は生まれてこの方、父を見誤ってしまっていたのではないか。だって、彼女とこんなにも楽しそうに話をしているじゃないか。

僕は自分の記憶をまさぐった。
まず浮かんだのは、兄との親子喧嘩の模様だ。
「違う違う。そうじゃなくて、もっと楽しいやつ」。その思い出を慌てて打ち消した。

ついで思い出したのは、兄と僕と親父とで秀吉(飼っていた犬)の散歩ついてでに川へ行った際の情景だった。

経緯は忘れたが、親父は兄に説教を始めた。退屈に感じた僕は向こう岸に渡り、ひとり遊んでいた。なにせひとり遊びは得意な子だった。
夢中なあまり「もう帰るぞ」と言った父の声があまり聞こえていなかったらしい。すると、ひゅんと音を立てて礫が飛んできた。

え?と思い、振り返って眼に映ったのは、怒った顔で僕に石を投げようとしている姿だった。
子どもに向けて、真剣に礫を打つ親ってどないやねん。

「うん、これは目の前の彼女とおしゃべりしている人と同一人物とは思えんな」

さらに記憶を探った。
そういえば、目をかけていた従業員の男性が交通事故で亡くなったとき、号泣していたな。その後の手当で向こうの親御さんにも感謝されていたっけ。

あれ? でもそういえば、親父から見て熱心に勤めていなかった人が会社を辞めて、給料日に会社に現れたとき、その場で口論になったんだったな。
なんでも親父は相手をタックルで浴びせ倒し、マウントポジションを取ったらしいな。グレイシー柔術もまだ知られていなかった時代にすごいなぁって、ぜんぜん良い思い出ちゃうやん。

僕は過去を振り返るのを止めることにした。
奈良に入り、昼食に精進料理を食べた。それから法隆寺や新薬師寺を巡った。
僕と話すことはほとんどなかったが、親父は恋人と本当によくしゃべっていた。

奇妙なデートも終わり、また難波に着いて、彼女を降ろし、バイバイと手を振る。そして訪れる沈黙。ふたりきりの車中はひっそり閑。「ええ子やな」。ぽつりと父が呟く。

ああ、そうか。おそらく父は母と奈良に繁く来ていたんだろう。当時を思い出したのだろう。なんとなくセンチメントな気分になった。

この奈良往きが感傷のままに終われば、それはそれで幸せな結末なのだが、そうは問屋が卸さなかった。

恋人は家に帰るなり、その日の顛末を家族に話したという。彼女の父親も相当偏屈で厳しい性格と聞いていたものの、「雄大のお父さんはすごくいい人だった」を連発したことに、彼女の父は「なにー!」と対抗心を燃やしたらしく、「こんど家に連れて来なさい」という運びになってしまった

男二人、女三人の兄妹の末っ子で、姉妹の彼氏を家に連れて来るなどご法度中のご法度であったにもかかわらず、異例の処断に彼女の家族も驚いた。それから数日後、僕は夕食に招かれた。

「はじめまして」と挨拶をする僕の眼前にいたのは、短躯ではあっても、獅子鼻と猪首が押しの強さを物語っており、そこにパンチパーマが乗っかっているものだから、いかつさのアレンジが効きすぎている。そんな親父さんだった。

「君は哲学科だそうだが、そんなんで将来食べていけるんかね」。
見知って間もないにもかかわらず、彼はそう尋ねてきた。鉄錆を含んだような塩辛い声だった。

裸一貫で商売をやってきた人だけに、表を飾る言葉など通用するわけもない。当時の僕は非常に痩せていて、色白で見るからに頼りなげ。値踏みされても仕方ない。

「お父さん、何を言ってるの」とたしなめるのは、彼女と母親。気まずさを晴らすかのように料理が運ばれてきた。

「娘の将来を託せる男なのか」という気の早い質問というよりは、オスであることをアピールするような威嚇として、彼の言葉を受け取った。
不快には感じなかった。「俺は実力でこの日本でしのいできた。やれんのか?おまえは」と問うていたからだ。

それは若いからといって不問に付しておいていいわけではなく、この国で生きる上では欠かせない、きわめてプラグマティックな問いかけだった。ラブホテルやパチンコを経営していると聞いていた。侮り、蔑みの眼差しを嫌というほど浴びてきたろう。

目を合わせるのはおっかないので、僕は赤銅色に焼けた彼の太い首に見入っていた。

あれから20年ばかり経った。どうにかこうにか僕はしのいでいる。