行人

雑報 星の航海術

実家が売却されることになったので、神戸へ5日ばかり行ってきた。
もともと希薄な関係の家族だけれど、薄いながらも過ごした日々の思い出というものがある。それをわざわざ確認した上で、感傷に浸るのは悪趣味で、含羞なしにはどだいやれんことではある。
生きているあいだにノスタルジーに浸るなんて、屍みたいに生きるのとかわりない。

遠回りして帰るように繁華街の三宮やこれまで行ったことのない異人館、幾度となく足を運んだ南京町を訪った。

阪神大震災以降、神戸を代表する街、三宮はすっかり相貌を変えてしまい、チェーン店が幅を利かせるようになった。ケーキ屋もパン屋も味が格段に落ちた。

比較したところで詮のないことではあるけれど、なまじ記憶があるだけに、かつてあった光景とともに育ってきた自分を否定されるような感覚に陥る。
良友酒家でランチを食べ、にしむら珈琲で珈琲を喫しつつ、カーディナルシュニッテンを食べる。
初めて異人館へも行くが、うろこの家の入館料が1000円、周遊券3500円と法外な値段と街のあちこちに張られた広告の下品さに、どこにも入らず引き返し、そのまま南京町へ。ここは神戸の中華街だ。

南京町にて

韓国からの観光客が大挙して訪れ、長安門の前で記念撮影をひとしきり。街内に韓流グッズの店もある。時代は変われば変わるものだ。

1970年代初頭、スーパーマーケットが定着し始めた頃、エスニック料理という認識はまだなく、僕の記憶ではスーパーマーケットにはゴマ油が置いていなかった。

母は南京町に買いに出かけた。路面はいつも濡れた色をし、路地からは嗅いだことのない臭いがし、あきらかに異世界だった。そこで僕は狗や蛙を食べた。いまではそんな気配はまるでない、どこかの観光地を模した観光地めいた街になっている。

それにしてもなまじ鮮明な記憶があると面倒なものだ。あれほど痩躯だった兄と12年ぶりに再会したが、兄はたいへん肥満しており、おまけに喋り方も桂南光みたいになっていた。以前会ったときは道路建設に携わっていたはずだが、いつの間にか不動産の営業をしているという。兄はいう。「こんな時期に家が売れるなんて奇跡やで」。
壁にかかっていた児玉幸雄はとうに売られ、次の家族が越して来るあいだの閑散さを埋めるように西村功の絵が掛けられていた。

家から望む神戸の海

深更、家を歩いてみた。
壁や木の肌に手を触れてみる。記憶は僕の中にあるというよりも、家自体に、この空間に書き込まれているように思えた。いまはもう亡くなった母の存在がとても身近に感じられた。

かつて暮らした部屋に蒲団を延べる。カーテンの取り払われた窓から、早足に駆け抜ける雲のあいまに煌々と照らす月明かりが射しこむ。刻々と表情を変える月と雲。

喪失感を募らせ始めた僕は我に返った。記憶の中にしか存在しないものを失うことなどないのだ。かつてあったことはもうすでに過ぎ去ったこと。そんなものを所有したことなどなかったのだ。

かつて見たものを通じて、いまを見ることは妄想に他ならない。この感傷は幻影だ。

記憶は感情を宿らせ、日々の足取りを確かにするためにあるのではなく、足跡に過ぎない。最良の走者は足跡を消していく。

故地はなくなった。だからどこへでも行けるのだ。