失われたチリンチリンを求めて

自叙帖 100%コークス

チュートリアルがM-1で優勝した際のネタに、自転車のチリンチリン(ベルのことね)を盗まれてからというもの、生活は荒れ、毎晩酒浸りみたいなのがあって、当時あれを見たときゲラゲラ笑ったんだけれど、たんに漫才がおもしろいだけじゃなくて、そこはかとないヒリっとしたものを心中に感じたのを見逃すわけにはいかなかった。

徳井はこういう
「オレ、すぐ周りの人聞いたよ。すいません、チリンチリン知りませんか? 僕のチリンチリン知りませんか? でも世間は冷たいもんや。誰ひとりオレの声に耳をかさへんかった。それからというものオレの生活は荒れたよ。毎晩毎晩酒飲んで、朝起きてチリンチリン探した。夜ベロンベロン。朝チリンチリン。オレの体はガリンガリンやー!」

チリンチリンなんて傍から見ればどうでもいいものであるけれど、また自分にとっても取り立ててそれにこだわらなくてはならない理由がよくわからなかったりするのに、ただ喪失感だけが強烈にあって、由来のわからない空疎さを埋めるために、ふらふらと彷徨わざるをえない気持ちに突き動かされてしまう。

これは何に似ているかというと思春期の心性で、しかも大人になってからの思春期というのは、失われたチリンチリンを求めて、みたいなノリの滑稽さがある。ようは僕がそうだった。

前回、タイから帰国後、人と話せなくなってしまったと書いたけれど、その原因は、それまでの2年間で自分が身につけた言葉は世界に存在する南北格差や貧困、あるいは資本主義の横暴、搾取、環境破壊といった身の丈を超えたものだったからだ。

大きな言葉に通暁することが現実を知ることであり、それが正義と考えていたわけだが、2年目に訪れたタイでの見聞は、「先進国に従属した経済制度の矛盾」とかなんとかは、現地のリアルの前では寝言でしかなかったことに気づいてしまって、話すべき言葉を見失ってしまった。

文化と伝統と麗しき山河を破壊する経済至上主義と軽佻浮薄の消費文化を断罪する気満々でも、そういう暮らしに移れることを是とする人がいるということを想定していなかったのだ。

自分がこの国で堪能している限りにおいては、消費生活や経済のシステムは概ねうまくまわっているように思え、そのレベルでは秩序は保たれていて問題はない。
だけど、そういうふうに物事に整合性があるということは、何かが排除されているからこそで、その排除された問題が外部に貧困や格差、環境破壊といった形で顕在化する。

その見方にはあまり誤りはないだろうけれど、見た事実と見られた事実は異なるのだということにまるで気づいていなかった。自分の義心や知的好奇心を満足させるための問題を海の外に発見はしても、そこに人の暮らしや願いがあるということをまるで無視していたわけだ。ありていにいうと、アホだったのだ。

経験と実感に伴った自分の身幅分の言葉を持ちあわせていないことを知って、僕は誰とも話しができなくなってしまい、何を考えたらいいのかもわからなくなった。

「万人はひとりのために、ひとりは万人のために」というスローガンが急速に色あせてきたのは、「ひとり」である自分はそもそも何も知らず、何も考えておらず、ただいたずらに主義や制度の言葉にそって、オウムのようにしかしゃべってこなかった。
根のない自分の発見は本当におそろしく不安なことだった。

ちゃんと考えれば恐怖と不安は払拭できると思っていた。
そのために手順を踏んで考えるべきことはたくさんある気がするのにそれが何かわからない。本に答えを求めても何も頭に入らない。人にあってもいますぐ答えが欲しいような焦燥感だけが沸き起こって楽しめない。

「何も考えることができない苦しさ」を考えることが苦しくなるという、懊悩のパイ重ね状態になってしまい、ならば何も考えないでいるために身体を動かせばいいんだと思い至り、ボクシングを始めた。

いっときも何かを考える猶予を与えなくないので、週6日のペースで通い、毎日サンドバッグを3時間は叩いた。
おかげで肩が炎症を起こして、服を着るのもつらくなってきたのだが、それでも毎日通っただけの効能は確かにあって、サンドバッグを叩いているあいだは、ランナーズハイみたいになり、何も考えなくて済む。

だが、ひと通りトレーニングを終えると「こんなことをしたところで何もなりはしない」という思いに追いつかれてしまう。

「夜ベロンベロン。朝チリンチリン」じゃないけれど、トレーニング後は、友だちの下宿に押しかけ毎夜のように飲めないお酒を飲んでは嘔吐し、翌日はまたボクシングジムに通うという、規則正しいんだか健康に悪いんだかよくわからないサイクルにはまり込んでしまった。

ボクシングのほかに慰めを見出したのは、目的地を持たずにドライブすることで、自分ではfun to driveのつもりでも、いまから思えばめちゃくちゃスピードを出していたらしく、ある日高速道路を走っていたらすごい光が目に飛び込んできた。オービスだった。ふとメーターを見やると180キロを越えていた。

後日、警察に呼び出され、写真を見せられた。ばっちりと僕が写っていた。
「あんたみたいに飛ばす奴は一年にひとりくらいや。なんでむちゃなスピードで走っていたんや?」と尋ねられた。

ひさしぶりに人と話す緊張もあったが、改めて理由を聞かれて「はて?」と思ってまごついた。別に速く走ろうと思ったわけじゃなかったのだから。

仕方ないので「いやー、気がついたら出ていたんですな」と桂米朝っぽく答えたら、警官は「ふざけんな」と言い、調書に「暴走行為を楽しみたかった」と書き付けた。

免許取り消しから20年近く経った。来年あたり沖縄あたりの免許合宿でも行こうかと思っている。いまならそんなにスピードは出さないはず。というか、こんどはあまり速度の出ない車に乗りたい。