「過剰発 過剰経由 過剰行き」

自叙帖 100%コークス

「自分はいったい何のために生きているんだろう」という問いを、おもしろい問いの立て方で解こうと心と身体を総動員して事にあたるのではなく、問いを平然と悩みに格上げしてしまい、臆面もなく懊悩することを青春ノイローゼという。

青春ノイローゼにルビを振るとすれば、さしずめ“ここではないどこか”になるだろう。

自分で書いていてその寒々しさに鳥肌が立つけれど、“ここではないどこか”の文学然とした顔つきを自分に赦す甘さが青春ノイローゼの骨頂だろう。

荷を頭上に載せる大原女

“ここではないどこか”を物理的に求めた結果、前回書いたようにスピードオーバーで一発で免取りになったわけだ。

傍から見たら滑稽でも、当人にとっては大まじめなのだ。
「自分はいったい何のために生きているんだろう」という問いは、終始脳裏に点灯し続け、それどころか僕は大原女のようにそれを頭上に戴きっぱなしなのであった。

そんな心中グギギ状態で、ひとり内圧を高めていたある日、オヤジが珍しく話しかけてきた。しかももじもじとした様子で。
「実は紹介したい人がいるんだが…」

はは〜ん、恐らくあの人なんだろうなと思った。
その人はオヤジの経営する会社で働くデザイナーで、新年会だかを家で催したとき、一度挨拶を交わしたことがある。
一度しか会ってないのになぜか「あの人なんだろう」という確信があった。

その直感はビンゴだった。
改めての紹介で三人でお茶を飲んだ。眼前のオヤジ52歳、彼女は27歳。歳の差四半世紀。
僕と6つしか離れておらず、兄貴にいたっては2歳しかかわらない。

世間の基準で言えば、先妻が亡くなってまだ4年で再婚というのは早いし、子どもの気持ちを考えれば尚更時期をずらしたほうがいいのではないかというものだろう。
実際、親戚からそのような声もあがったようだが、僕としては、「生母を慕って継母に反目するなんぞ思春期ではあるまいし」という思いがあった。

というか、ある意味思春期真っ盛りなので、正直オヤジの再婚など眼中になく、オヤジの人生はオヤジの好きなようにすればいいとしか思っていなかった。それよりも自分の心中の大嵐ぶりのほうがたいへんで、外界のことは些事にしか思えなかった。
これは継母への反発心よりも質の悪い無関心だったかといまにして思う。

結婚までは一緒に暮らして徐々に家族と慣れていくという方針になったようで、共同生活が始まった。

生まれてこの方、一人っ子がふたりいるみたいな間柄の兄とはむろん長じてからも没交渉で、会話といえば「ちょっとそこの醤油とって」も含めて人生の総計会話時間30分程度であったが、仔細はわからないものの想像するだに、その頃の兄は兄で思い悩むことあったらしく、家にほとんどおらず、いたとしても部屋を真っ暗にして一日中寝るばかり。

僕はといえばもちろんノイローゼ全開ですから、黙りこくった上に眉にしわ寄せた顔つきがノーマルだし、家に戻ればすぐに自室にこもるなど、誰とも話をしない。

彼女は27歳で年の近いめんどくさい息子ふたりを相手にすることになったわけで、たいへんだったろうなと思う。

その面倒くささに更に土星並の輪をかけたのがオヤジだった。僕らは一家総出で彼女にとって不良債権化していた。

いつもは聞こえていた彼女の声や足音がある日パタッと消えた。
家政婦さん(初めて登場しましたが、実母が病身だったので、僕が幼い頃から雇っていたんです)がカクカクシカジカと教えてくれたことによれば、オヤジは新しい妻への「あなたを幸せにします」アピールのために、先妻のために買った毛皮や宝石やバッグ類を見せて、自慢したらしい。

これを直訳すれば、一般の人はデリカシーがないというか、さっぱり訳がわからないでしょうが、僕なりに父の行動を翻訳するとこうなる。

「見てごらん。これらのものを。これくらい僕は先妻に献身したんだよ。だから、きっとあなたのことも幸せにできるよ。愛情のバロメーターであるこれらの品々をなんなら君が使えばいいじゃないか」

オヤジの言動は大盤振る舞いを示し、度量の広さを証す行為だった。
なぜそれがわかるかというと、そういうトンチンカンをしょっしゅう僕もやるからです。

たぶん、漁でつかまえた魚を両手いっぱいに抱えて誇らしげな顔をしている狩猟採集民とか、ポトラッチなんかの贈与の感覚がわかる未開社会の住人だったら「じゃ、使わせてもらいます」とすんなりと言えたかもしれないけれど、近代人には無理でしょう。
実際、彼女は家を飛び出してしばらく戻らなくなった。

数日後、彼女は戻ったのだが、その頃にはオヤジは毛皮や宝石やバッグ類といった思い出の品々をすっかり捨ててしまった。たぶん総額数千万円。

本当にポトラッチまんまを地で行くというか、「過剰発 過剰経由 過剰行き」みたいな人だ。
そんなバスがあったら絶対に乗りたくないけど。

あ、でもそういう乗り合いバスみたいな家族のメンバーだったんだなと、いま書いて気がついた。