2010年12月27日 vol.5

自叙帖 100%コークス

 2011年3月11日は、ちょうどこのサイトの打ち合わせで新宿にいた。
 それから数週間、いや5月くらいまでの記憶は断片的で、たとえ記憶していたとしても時系列がめちゃくちゃで、そのときに起きたことかどうか怪しい。
 当時の行動で唯一記録からわかるのは東京に大量の放射性物質が流れ込んだ15日、吉祥寺へ向かったことだ。坂口さんが吉祥寺の駐車場に建てたモバイルハウスを見学しに出かけた。

 それ以外で確実に覚えているのはあまり食欲はなく、水に浸した玄米を手ずから掬って食べるか。パンを齧る程度で充分で、かといって元気がないわけではなく、あまり眠らなくても活力に満ちていた。

 

 ネットを通じて見ていた政府や東電の記者会見は故意にか、あるいは無意識にかわからないけれど、事実を訂正し、編集し、前後し発表することで、何が信頼に足る情報なのかを歪ませ分断して伝えていた。
 あのとき信じられたのは確実な情報ではなく、自分が生きる方へ歩み出せるかどうかの生命力だった。

 さっさと東京を離れてもよかったのだが、どうせならギリギリのところまで、ここで起きていることを見届けたいという思いは強く、そうするうちに2ヶ月が経った。
 その間、後手後手にまわる政府や東電のやり口に誰しも怒りを募らせていた。ネット上では非難弾劾、悲憤慷慨する声がたくさん聞かれた。

 そんな中、「新政府を立ち上げます」と坂口さんがTwitterでつぶやくと、矢継ぎ早に福島から子供を避難させるプランを示すなど新政府としての活動を始めた。
 批判や否定を止め、さっさと新しい現実を構築し始めたわけで、半年前に「選挙に出ないけれど総理大臣になるよ」と言ったことが本当に現実となったので、「あ、そうか。こういうふうに実現するものだし、現実は展開するものなのか」と深く納得した。

 電車の中で居合わせた人たちの失笑を買った「総理大臣」発言だけれど、こうして実現されてしまった事後から振り返って見ると、絵空事と僕らが断定しにかかる想像力は、空中に梯子をかけるような現実性のなさを確かに感じさせるけれど、それは現実の縁に足をかけつつ新たな現実を構成するといった、こちらにいながらあちらにもいるといった曲芸みたいなもので、こちらから場外ホームランの放物線を描いてあちらに飛んでいくボールを見上げると、続行中のプレイとは別に虹が見えたみたいなところがあって、違う現実に打球が滑りこむと歌が始まる。「いつかあの虹を越えて 歌で知った国を見つける もしあの虹を越えたら夢はかなう そんな気がして 目覚めるとわたし雲を見下ろしている 悩み事は檸檬の滴みたいに溶けた いつかあの虹を越えて鳥たちのようにあなたのもとへ いつかあの虹を越えて 歌で知ったうちをみつける
 
 現実は人の数だけあるけれど、いまここの現実はひとつしかない。可能性は無限にあるけれど、いまここでできることはひとつしかない。
 未曾有の事態が現実だというとき、昨日までを構成していた現実が今日から先に続く現実だと思えてしまうことが妄想で、するといまから自分の生きる方途を定め、決断すること以外に現実というものはないのかもしれない

 「歌で知ったうちをみつける」というのなら、僕は自分が口ずさむ歌が何なのか知らなくちゃいけない。人から歌うように言われた歌では何も知ることもできない。自分の歌を歌い出すことを始めなくちゃいけない。