尹:2011年2月に鳥取の湯梨浜町に移住し、最初の漁師小屋を解体してつくった「うかぶ」という家を拠点に活動をスタート。うかぶは後に社名にもなっています。そこからさらにゲストハウスの「たみ」を手がけられたわけです。
蛇谷さんと三宅さんの方針としてサイトはあっても、「たみ」に関する情報は出さないと決めていますよね。ネットで検索してわかったような気持ちになったり、あらかじめ仕入れた情報と照らし合わせても、それは体験とは呼べないからでしょう。ですので、「たみ」について直接尋ねることはしません。その上でお聞きしたいのは、ゲストハウスを作る土地が湯梨浜町でなければならなかった理由です。
蛇谷:知り合いの紹介があってのことですけど、鳥取の湯梨浜町に決めたのは、いちばん初めて会ったおばちゃんらの存在が大きいです。食事会を開いてくれたおばちゃんたちは誰ひとりとして「町づくり」とか「補助金」の話をしなかった。思い入れはひとりひとりはあるんでしょうけど、町のプレゼンをまったくしなかったんです。
私らも「この町のいいところは何ですか?」と質問しませんでした。ただ、おばちゃんらは年間行事として祭りがあるくらいのことは話してくれて、そのときに「行政がやっているトライアスロンもある」と、ちょっと面倒くさそうな顔をして話したんですよ。役所主催のイベントにだけはそういう表情をした。その感覚に肌が合いそうやなって思いました。
いちおう私たちの紹介として「かじこ」の話をスライドを使いながら話していたら、ちゃんと最後まで聞いてくれて、なんかその姿勢に「いいところやな」と思ったんです。どうもその食事会は彼女らなりの面接だったみたいです。
その日、ただただ私たちはご飯を一緒に食べました。その普通の人間として受け入れられている感じがすごく嬉しかった。
翌朝、町案内をしてもらったんです。そしたらね、何もなかったんです。けっこう何もない鳥取でもさらに輪をかけて何もなさ加減が半端なかった。
尹:一周12キロある東郷池と温泉がいちおう売りですが、確かに何もない感じは濃厚です。
蛇谷:ガラガラではあるけれど、かといって寂れてもいないでしょ。「けっこう呼吸しているな」という感じは伝わってきた。町を歩いていたら、昨夜会ったおばちゃんらが店先にいるんですよ。だから「あの人はここで働いていて、この人はあそこか」とわかって、そのこぢんまりした規模感と町にあるのは温泉と大きな池だけと知って、なんてシンプルな町だ。超引き算じゃん!これは究極だし、めちゃいいなと思って決めました。
尹:人を呼ぶにはすごくアウェイな条件ですよね。ここに人が来ると思いました?
蛇谷:いやー、そんなこと考えていなかったです。ただ、ここなら住めると思いました。
尹:「おばちゃん」は町にとってどういう存在なんですか。
蛇谷:私は大阪出身なんで、つい「おばちゃん」と言いますが、商店を経営している旦那さんの奥さんたちであり、店に立っている商売人です。ここらでは旦那さんは店には立たず奥の方にいるんです。一年のうちに祭りのときしか登場しないおっちゃんもいて、「あのおばちゃんの旦那さんやったんや」みたいな答え合わせをしたりしてます。
尹:町の要は女性たちなんですね。
蛇谷:基本、男はあまり姿を見せなくて、おばちゃんらがいろんな人と接点を持ってますね。町の動きをいちばん肌で感じ続けている人なんやと思います。単にお金を回すだけでは商売として成り立たないというのを彼女らはいちばん知ってると思いますよ。
尹:どういう意味です?
蛇谷:おばちゃんらがうちにコーヒーを飲みに来てくれたんですけど、コーヒーを飲みに来るだけじゃなくて、「どうやらこの人らはしゃべりにも来て、情報収集しているらしい」というのに途中で気づいたんです。
声なき声を察知するプロフェッショナルなんですよ。店に来る人らだけでなく横のつながりを大事にすることにも長けている。町のことについてもそうで、それぞれ家族も家庭の背景も違うから、「あの人はこういう価値観でやっているからこの辺で関わってもらおう」みたいな配慮も完璧で、そういうことを小さな集まりで話し合っているんです。よくできていると思いました。
尹:なるほど。お金のやり取りだけではなく、そういうコミュニケーションの取り方によって町が成り立っているわけですか。
蛇谷:そもそもモノを売らないんです。「家でたくさんつくりすぎたからこれあげる」とおかずを差し入れてくれたり、「在庫の整理していたからあげる」とかいっぱいモノをくれるんです。なんか返さないといけないんですけど、それがお金じゃないのはわかる。何を返したらいいんやろとモタモタしてたら、次々に差し入れがあるから、借りているものがどんどん貯まっていくわけです。
ミカンでもお返ししようと出かけて行くと、お菓子とかお茶を出されて店の中でしゃべる。そして、また「これ余りもんやからどうぞ」と言われる。さすがにお金を払おうとすると、「いらんよ」と言われる。そうやってお金が登場しない期間が1年くらい続いたんです。
こっちもお金ないからお歳暮も送れないし、じゃあちょっとでも買い物してお礼に代えようと思っても、呉服とか婦人系の下着は買えないわけです。義理で買えばいいけどやっぱり欲しくないから買わない。結局、しゃべって帰るだけなんですけど、おばちゃんらは悪い顔もしない。とりあえず体で返そうと、イベントの準備していたらなんでも手伝いますといってました。
そういう付き合いに加えて、だんだんわかってきたことがありまして、町では「三八市」という市が立つんですけど、それまでは深い考えもなく屋台を出していたんです。でも、おばちゃんらと付き合ううちに気づいたのは、市で店を出しているか出していないかによって、町の人らの認識が全然違ってくるってことなんです。
要は店でずっと待っていることが商売ではないし、お金が集まることではない。外に出ないと人は来ないんやということです。
尹:関わらないと見えてこない関係性の中で人が生きているんですね。
蛇谷:そうなんですよ。湯梨浜町に来て3か月目くらいのとき、仕出屋でバイトをしていました。予想に反して、毎日めちゃめちゃ忙しくて、仕事が終わるとクタクタになってました。外から見たら動きがないような店に見えても、山の方である法事に弁当を配達するとか旅館の団体客用の仕出しから個人宅の催事まで忙しい。しかも魚屋でもあるから仕入れた魚を買いに来るお客さんもいて、ちゃんと町を潤わしているんです。みんながそこで頼んでいるんです。
ちなみに町には仕出屋が3つあるんですけど、祭りの最中は「今日はこっちの店で打ち上げしよ」みたいに町の人が交互に使っています。打ち上げで飲むお酒は町の酒屋で買うから一瞬、めちゃ売上が上がることになって、なんせ町の中でお金が回っています。
ということは、その関係の中に入ってないと頼ってもらえないということでもあるわけです。
尹:何も動きがないように見えるんですけど、水面下で動いているんですね。
蛇谷:めっちゃ動いてますよ。駅前にある土産屋は、よく見たら置いている品はホコリかぶってないです。絶対に誰か買っているってことでしょう。農家もしているらしくて、梨の卸もしてます。酒屋も忙しそうだし。旅館も働いている人が多くて、ちゃんと動いてます。あるシーズンは満室になるからうまいこといってるんですよ。とにかく見た目と違うんです。
尹:大阪では、湯梨浜みたいに一見寂れているけど「一皮めくったら実は」みたいな体験しました?
蛇谷:ないですね。
尹:流行っていたら流行っているし、寂れてたら寂れている。見た目通りの感じでしょ?
蛇谷:そう。でも、それがここでは違うんです。なんか空気が淀んでない。
尹:繁盛しているというのは、常に人が出入りしている状態で、そうでないと成り立っていないと思ってしまいますよね。
蛇谷:行政の人もそう言ってます。「人、来ないですね」って。私、それ聞くと「こんなに潤ってんのに何言ってんの?」と思います。店に立ってないと見えてこないんですよ。
尹:さっき「お金が登場するまで1年かかった」と言ってましたよね。目に見える経済活動はないけれど潤っている。どういう意味での潤いですか?
蛇谷:暮らしができているという意味です。「暮らしていける」ってなんかいいなと思いません? 「大きくしたい」ではなく、暮らしていきたいだけなんですよ。私は町と町の人に関わりはしても、それ以上の町づくりにあまり関心ないんです。だって「町づくり」って他人のことでしょ。それは自分の外側のことやから。
まずは自分のことからで、「たみ」を運営することで居心地よく暮らしていきたい。同じようなことを魚屋、酒屋でやっている人がいる。そういう人が町に集まっていて、それぞれが家族を食べさせている。そう思うと、なんかすごいですよね。
(続く)
2016年7月26日
撮影:田中良子