Vol.3 あらゆるたみが集う場所

第6号 うかぶLLC共同代表 蛇谷りえ

Vol.3 あらゆるたみが集う場所


尹:ゲストハウス「たみ」は撮影禁止ですし、SNSで情報を発信することもない。噂を聞きつけて訪れる人も多いと聞いています。当初からこういう伝わり方を狙っていました?

蛇谷:根拠はないですけど、「人来るやろな」と思ってました。こんないいところだから来るでしょと。ともかく私はここで暮らしたかったから、暮らしているということを楽しみました。

こっちに来た初めの頃は大阪と鳥取の2拠点で生活してました。「うかぶ」をつくっているときは、「ここに水が出たらいいな」「ここに窓があったらいいな」といっぱい歩き回って決めたんです。でも、大阪に帰ると、なんでか知らんけど、勝手にここにドアついてるし、勝手にここに水道がある。この水はどこから流れているかわかんない。「そうか。わかんないところで暮らしてたんや」という発見があって、だから湯梨浜町での暮らしそのもの、衣食住の住がすごい刺激に感じたんですよ。

しがらみのレスポンスを楽しむ

IMG_2501尹:人間関係もそうですけど、あるレベルを境にいろんな動きや思惑が見えてきます。それは互いに見えるってことで、ある意味隠しようがない環境でもあるわけですよね。

蛇谷:そう、ぜーんぶ見えてるみたいな。だから悪いことできひんって言い方もできる。この前、すごくお世話になったおばちゃんが亡くなったんです。これまでいろいろ迷惑かけたんやろなと思って、旦那さんに謝ったんです。そしたら「迷惑かかるくらいがちょうどいいから。かけなさいとは言わんけど、そんなことは心配すんな」と言ってくれた。

尹:あんまり損得勘定で生きてないんですね。

蛇谷:そうですね。そういう人との付き合い方はそれまで経験してこなかったです。

尹:厚い人間関係があるからこそでしょうけれど、それとしがらみの違いは何ですかね。

蛇谷:しがらみは今のところ感じてない。というより、しがらみは幻想じゃないですかね。

尹:受け取り方次第ってことですか?

蛇谷:そうそう。世間があれこれ言うことに生きづらさを感じる人もいるんでしょう。それはわかるけれど、なんか言われても相手してもらえるだけでもいいやんとも思うんですよね。ほったらかしよりマシだと思います。

仕事をしていると、いろいろと間接的に言われることはありますが、そういうの聞くたびに最初は傷ついたし、しょぼくれていたけれど、「でも別に間違えてないしな」と、堂々としとこうと思ったんです。聞き流すところは聞き流す。そうしているとレスポンスがあるもので、「これやったら文句あるし、これやったら喜ぶ」とかわかってきました。
だから、あえて違うことをしたりもしました。おばあちゃんやからといっても意地悪なこと言う人もいるし、「なんか若者っぽいよね」と言ってくれる人もいます。いろいろだし、受け取り方次第。
こういうやり取りもしがらみのひとつかもしれない。みんなが嫌がるようなことだと思います。でも、私らにとってはおもしろいことです。

鳥取には、社会に同調せずにすむ余白がある

尹:最近、ゲストハウスやシェアハウスがおしゃれなものとして雑誌で特集されたり、DIYの一環だとかアートよりで語られ始めています。

蛇谷:自分の仕事、なりわいをつくるって感じですかね。

尹:そうですね。あとは地域活性型のソーシャルビジネスとして捉える向きもありますね。

蛇谷:ソーシャルですか。私たちの周辺にいるような若い人は曲者が多くて、なにがしか社会に違和感を持っていました。なんか「社会むかつく」みたいな感じでいつもぶつくさ言ってました。何でも社会のせいにしていくと、ギャグみたいになってくるんですけどね。

でも、「生きてても報われない」と思うくらいの背景がその人たちにはあるわけで、それは無視はできないし、だから私らもがんばろうって思えました。この人らが生きていけるように仕事を維持しないといけないし、仲間っていう感じがしてたんです。

尹:「社会むかつく」みたいな社会への関心の持ち方はないでしょう?

蛇谷:ないですね。けれど、それが私の暮らしと密接に関わっていることは文化事業でお金がストップした経験から知りました。無視はできないし、その意味ではムカつく。大好きではないし興味はないけど、すごくすぐ隣におるみたいな感じです。それとどう付き合っていくかは、常に考えてます。巻き込まれたくないけれど、巻き込まれずに生きてはいけないし、素直に巻き込まれたら生きていけない。でも、ユートピアをつくりたいわけじゃない。

尹:うっかり巻き込まれないスペースが鳥取にはあるって思いません?

蛇谷:そうそう。尹さんもこっち来てるからわかると思いますけど。なんか、それは感じます。さらに中部の倉吉あたりになるともっと違うんです。民族の違いみたいに感じることもありますね。

中部の人らと海辺でバーベキューしていたんですけど、家が寿司屋の人は極上の刺身を持ってきたりとそれぞれがいろいろ持ち寄って来たものを食べて、その後、すっぽんぽんに近い格好で海に入ったり、火を焚いて音楽鳴らして、なんかもう遊びというより戯れてるんです。その人らの振る舞いが、なんかこの土地からニョキっと出てきたみたいな感じなんですよ。

尹:地場のものというか、生え抜きの感じが人間にもあるわけですか。

蛇谷:そういう感じがありますね。鳥取や島根は新幹線も通ってないから、大阪や東京にあるようなものがここにはたくさんない。大阪だと地場のものって5%もあるかどうか。東京だったらもっと少ないでしょう。
でも、鳥取には、「ここにしかないもの」が残っている。だったら、なおさらここに来てもらわないといけないし、もっと私らは解像度あげて見ていかんとあかんなって思ってます。

鳥取は外から入ってくるものよりも、ここから湧き出ているものの方が強いんじゃないかな。私は大阪のやり方をここに持ち込みたいわけじゃないんです。「早い、安い、うまい」みたいな、あの文化はわかりやすいし、ああいう感じは大阪の凄さだけど、私はその物差しで測るだけではない世界があると知ってしまったから、それはやりたくない。そこからこぼれる人がたくさんいますしね。

ここでのやり方をつくりたいんです。湯梨浜のおばちゃんたちの暮らし方、お金の回し方すべてに影響を受けましたから。でも、それを守りたいというのでもなく、単純に影響を受け続けているだけ。そしたら、朝食にグラノーラ出しますみたいなシュッとした感じにはならない。それってコピペでできるでしょ。東京らしいオシャレっぽいデザインになっているだけやから、それは鳥取でやっても仕方ない。

すべての人に開かれた場所

尹:「うかぶLLC」の事業は成長ではなくぐるぐる回すことを大事にしていると思います。そのぐるぐる回るイメージはどこから来たんですか?

蛇谷:場所ができたらいろんなものが勝手に入ってくるからです。回そうとしなくても回っていく。
ここに私がいるとネコも鳥も情報も人も入って来る。
ネコが来て「何しに来たんかな」と思って手を差し伸べたら、ぷいってあっちに行ってしまって、こちらの期待と全然違う反応したりする。次はネコが来ないようにしようという対処もあるし、来たら魚でも置いておこうというのもある。
その都度違うというか、受けてまた返して、それでまた来てみたいなのをやり続けたい。だって、「ここはこういう場所です」と言ったらそういう人しか来ないから。規模が大きくなることはあっても、それはつまらないでしょ。

なるべくいろんな人があの扉から入ってきて、私らが刺激を受けて、また返してという感じでいたい。それは個人単位ではやっていたんです。作品つくるときもデザインするときも多分根本にそれはあったはず。

ここに自分がいて、ここに入って来た人次第でなんとでも変わる。ここにいる自分も「私ってこうです」というよりは、相手の話を聞くだけ聞いて、また違う方向性を出していくあり方でいたいです。
いずれにしても相手がいないと成り立たないですよね。自分が何かをつくるときには相手は絶対必要です。でも、その相手はたくさんいて、それがばあちゃんだったり子供だったり。広げていったら町の人全部入るくらいにはなります。

尹:いまのところ「たくさん」の適正なサイズは町の規模に見合っている感じですか。

蛇谷:そうですね。サイズ感がわかるようになってきました。フレーミングはわかっても、異物でいることは心がけているんですよ。
町には町の空気があります。でも、どれだけ空気が悪くなってもピントの外れたことでも言えばそれが何かのヒントになることもあると思ってます。だから言うようにはしています。

何でそう思ったかというと、湯梨浜に来た年に池が溢れるような大雨が降ったんです。そのとき私は大阪にいたからニュースで池が溢れている様子を見ました。しばらくして湯梨浜に戻ったら、おばちゃんらの家でも一軒だけ床上浸水していた。「大変でしたね」と話してたら、浸水したおばちゃんのことを「あの人、当たりやわ」と爆笑して話す人がいたんです。「あんなんでびっくりしてたらここでやっていかれへんよ。40年前は腰くらいまで水が来たんだから」。
それを聞いて、40年前の話を今あったかのように話す人がいて、そのときのことをちょっと聞いたところで、絶対追いつけないものがたくさんあるわけで、それって地域に馴染むとか根ざすとか簡単に言われへんことやなと思ったんです。

知りたいという気持ちや興味があっても全部を知るなんて失礼すぎるというか追いつけない。知りたいけど知ることはできない。だから全然知らない人として振る舞うしかない。
でも、めちゃめちゃ話しますよ。店でもカウンターから出て、座ってめちゃしゃべります。なんかやらないといけない時に立っても、また戻ってきて話します。同じことを全員がやったら気持ち悪いけれど。立ち話はしらけるというか、スタッフと客の境界が延々と続くでしょ。

尹:客と亭主みたいな決まりきった関係ではないと示せるのは、今いるこの場を共有しているからこそできることだと思います。うがち過ぎかもしれませんが、そういう態度って「たみ」の名とも関係している気がします。「たみ」は民から来ていますよね?

蛇谷:「たみ」の前にやった「かじこ」は舵取りする人と言う意味で、その建物のあった場所は岡山を流れる旭川の船着場の近くだったから、船のストーリーで考えたんです。みんなが船に乗り込んでまた立ち去るイメージ。旭川をさかのぼっていった先には鳥取があって、湯梨浜にある東郷池とつながってはいないけれど、「つながっていたらいいね」くらいの思いはあって、だから「たみ」には、どんぶらこと船を漕いでいったら池にたどり着いて、そこに人がわらわらいる感じを出したかったんです。

「たみ」というのは人間というか、もっとも初めの人って感じなんですよ。なんというか、すべての人の場所が「たみ」になったらいいなと思ってます。(了)IMG_2525


2016年7月28日
撮影:田中良子