第3号 映画監督 富田克也

Vol.2 この場とこの時間を生きている人の姿を残しておきたい

尹 : 今回は映画を撮り始めた手前の話を聞きたいと思います。もともと富田さんはミュージシャンになりたかったんですよね?

富田 : そうです。「サウダーヂ」をはじめ、一連の俺の作品で主演している鷹野毅とは小学校2年からの付き合いなんですが、あいつとバンドをやりたく一緒に上京したんです。

東京に来たものの、いまいちうまく行かずにモヤモヤしていたら、毅の実家の家業の問題で、彼ひとり甲府に戻ることになった。91年くらいのことです。

尹 : 91年と言えば、バブル崩壊の年ですね。

富田 : バブルだなんだと言われても、子供だったから別に恩恵はなかったんです。でも、街の小さな小売店すら改装や改築、増築を繰り返していて、だから銀行は相当お金が余っていて、そういう小売店にもどんどんお金を貸しつけていた。それに景気がいいから連帯保証人を軽く引き受けることなんて光景もざらでした。
ところが郊外に駐車場つきの大型店舗ができて、それまで地元の市場に毎日のように買い物カゴをさげて来ていたお母さんたちが郊外に流れ始め、やがてバブル経済の崩壊というやつが訪れたとき何が起きたかというと、小売店の連鎖的な倒産でした。

俺の周囲を見渡しても、連帯保証をしていた人がいきなり負債を背負うことになって、クビをくくって自殺したり、気がつくと一家離散や自殺という話がそこらにあって、だから俺たちは、いったいどういう時代に生きているのか?ということについて、身近な人間関係にふりかかって来たことから学んだ気がします。
つまり、そういう地方都市の顛末が俺たちの中に蓄積されている光景なわけです。好景気から一転しての衰退、そして自己破産なんてそこら中にある話で、そこで疑問に思うのは、「じゃあ、あの人たちはその後、どうしているんだ?」ということです。
闇から闇で本当のところはわからないけれど、少なくとも見てきたことについては、映画に散りばめています。

尹 : ちなみに富田さんの実家の家業は?

富田 : 親父は公務員です。経営者ではないから直接的に好景気の恩恵は受けていないけれど、あの頃は公務員だって接待だなんだといってお金を使っていたと思いますよ。

東京にとどまることだけが唯一の希望に思えた

pre03_01_02_p01尹 : 一緒に音楽をやるつもりだった鷹野さんが抜けてから、どういう経緯で音楽から映画の世界に入ったんです?

富田 : 14歳くらいからミュージシャンになりたいと考えていて、それなりの真剣な思いで東京へ来ました。毅が甲府に戻ってしまったとき、「もうだめかな」と思ったけれど、ここで自分まで帰ってしまったら、本当に何もなくなってしまう気がして、だから、とにかく東京にとどまろうと思った。
何をしたらいいかさっぱりわからなかったけれど、これで戻るとすべて終了だという気がしたんです。

いまの若い子はそうじゃないんでしょうが、東京へ行くと何かがある。俺はまだそう思えた世代で、だから東京にとどまることだけが最後の砦みたいな感じでした。
バイト以外は部屋にひきこもって、とにかく映画を見まくった。甲府で見られなかった映画を探しまくって浴びるように見て、そしたら、あるとき「映画をつくりたい」と思ってしまった。それまでは自分で映画を撮るなんて途方もないことだと思っていたんですけどね。

映画をつくりたいと思ったけれど、ひとりではできないからどうやってつくればいいかもわからない。たまたま知り合いのツテで日芸の映画学科の卒業製作の現場に潜り込むことができて、そこで見よう見まねで覚えつつ、助監督をやらせてもらったり、役者で出たりして、映画の現場を体験しました。

その後、ユーロスペースとアテネフランセが共同出資で映画学校をつくると聞いて、周囲の映画通たちが俄かにざわついていた。彼らが言うには「講師を務めるのが青山真治、黒沢清、高橋洋といったすごいメンツだ」と。まあ、映画のことなど何も知らない俺は、その講師陣の作品どころか名前さえ知らなかったけど、「みんなで応募しようぜ」ということになって応募したら、俺だけ受かっちゃったんです。

地元のおもしろい奴らを紹介したくて撮り始めた

pre03_01_02_p02尹 : どういうきっかけで自分の作品を撮り始めたんです?

富田 : 学校では80人あまりの生徒が企画とシナリオを提出し、選ばれた4人が監督をする。他の人はそれぞれの組にスタッフとしてつくわけです。その4人に選ばれなかったんです。
美学校に行く傍ら、それと並行して、幼馴染の鷹野毅と伊藤仁らを主人公に初めての映画を撮り始めていたこともあって、それなら自分の映画に集中しようと思って、美学校から遠ざかったんです。

尹 : その後、現在のインディペンデントで映像制作を行う集団「空族」の中核であり、富田さんの作品の脚本を共同でつくられている相澤虎之助さんとの出会いがあったわけですよね。いまの空族のメンバーたちと出会った頃は、何をどう撮るべきかは明確でしたか?

富田 : とにかく作りたいという思いだけでしたね。
俺らの場合、周りに映画をつくる仲間ができて、「次はこんなのやりたい」と言って互いのことを手伝い合ううちに、相澤との出会いがあったりして、空族の根幹が現れたって感じですかね。
ともかく俺は毅と仁を、彼らを撮りたかった。

尹 : 最初から幼馴染の鷹野さんや伊藤さんを撮ることだけはブレていなかったんですね。

富田 : 彼らを人に見せたかったんですよね。「こんなにおもしろい奴らがいるんですけど」って。
あと、どうにも出口の見えない現状があって、その中で俺や毅、仁らが生きていて、「自分の身の上で起きていることは彼らのことであり、あいつらのことも自分のことだ」というような把握の仕方に確信があって、そのすべてを撮って残しておきたいと思ったんですよ。(Vol.3へ続く)


2012年5月28日
撮影:渡辺孝徳

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