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ミャーク紀行 vol.2

宮古島の朝に吹く海風は実に爽やかで、気分がいい。起きると住宅街で見つけたダグズコーヒーで濃いめのコーヒーを飲みつつ、西荻窪の古書店で買ったエーリッヒ・ケストナーの『ケストナーの終戦日記』を読むのがしばらくの習慣となった。
ナチに執筆禁止、出版物の焚書措置を受けたケストナーがドイツ帝国の陥落にいたる日々を綴っている。清沢洌『暗黒日記』もそうだが、この手の日記は当然ながらつねに渋い不機嫌な顔つきなので、この宮古の空気にまるで合わない。

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教習所の寮にはテレビが置いてある。博多の家にはテレビがないので、空き時間に久しぶりに見た。
東京のキー局が流す番組では関西弁を話すタレント、「日本の良さを発見」といった番組を多く見かけた。言葉も風土もまるで違うここ宮古でそれらを見ると、僕が「日本」として認識しているものは、東京から関西までのあいだの出来事を日本っぽさとして確認しあっているにすぎない気がしてくる。

沖縄のメディアには「辺野古」「阻止」といった見出しが踊り、ふつうに「戦世(いくさゆ)」という表現が出てくる。沖縄では当たり前でも、本土から来た人間には、ここには均すことのできない記憶があるんだと感じさせられる。

と同時に気づいたのは、宮古の人の口から「ウチナー」あるいは「オキナワ」という語を耳にした記憶がないことだ。
「内地から来たのか?」という言い方はするものの、それはウチナーに対するヤマトではなく、ただヤマトからミャークへ来たのか?を表している、そんなニュアンスを感じる。沖縄よりも前に宮古があるといった構えがある。

本土から沖縄に移り住んだ複数の人の話によれば、本島の那覇を中心とした地域には北部、南部への軽侮の念があり、そして本島ぜんたいとしては、宮古をはじめとした離島に対する差別意識があるのだそうだ。

生活実感としてそういうものを感じるところがあるのだろう。中華の冊封を受けていたのだから、琉球が支配領域に華夷秩序を敷いてもおかしくないだろうと思うし、実際、薩摩の支配をうけた琉球は支配下の宮古や八重山に過酷な税負担を強いた。そのため琉球に反旗を翻した石垣島のオヤケアカハチは地元ではいまでも英雄だという。

教習所の待合室に備え付けられた沖縄ローカルのテレビ番組は、辺野古の問題をきちんと取り上げている。それを見ている宮古の人たちは特にリアクションしないことに気づいたとき、沖縄のヤマトに対するわだかまりとは別の、まだ乾ききっていない思いの溜まりをふと感じた。

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ミャーク紀行 vol.1

沖縄は宮古島で4月末から1ヶ月近く暮らした。自動車免許の合宿のためだ。
19歳のとき神戸で免許を取ったものの21歳のとき、100キロオーバーのスピード違反により失効。その後、住んだ東京では車は必要なく、3.11後に移住した先の博多も、いまのような都心であればなんの問題もなく暮らせる。ただ、今年あたりまた移住を考えているので思い切って免許を取ることにした。

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沖縄を選んだのは、「免許を取りやすい」という噂を聞いたからだ。那覇は昨年何度か仕事で行ったし、どうせなら足を延ばして宮古島にしようといった安易な理由だ。宮古島に関する知識は雪塩くらいのものだった。

ちょっとしたバカンス気分でやって来たものの、もとが温室の坊ちゃん育ちなもので、共同生活などしたことがない。あらかじ個室をあてがわれると確認しての宮古行きだったわけだが、ぬかったのはトイレも風呂もキッチンも共同ということだった。

寮に足を踏み入れた途端、東京に初めて来た頃、物件探しで東武東上線沿線の安アパートを見た際のめちゃくちゃブルーになった気分を思い出した。床でひからびたイモリの死骸を踏んづけて、もう帰りたくなった。

同居人はふたりいるらしく、「仲良くしてくださいね」と職員のお兄さんに言われたものの姿は見当たらず。その日の夕飯は地元の食堂でとろうと思ったが、ガラス張りなのに中が見えない構えを見て入る意気地を失い、モスバーガーで済まして早く寝た。

翌日から始まった講習で最初にあたった教官は数週間後に「あら、あんた免許もっていたの?」と尋ねてきたので、おそらく初日にはそのことを知らなかったはずなのだが、車に乗り込むとまず場内を走らせた上、「はい、坂道発進」「はい、S字クランク」と指示するのだった。24年ぶりの車の運転ではあったけれど、なんとかこなすことができた。

その夜、いつのまにか寮内に姿を現した東京と長野から来た同居人たちにその旨を話してみる。「教える人によってやり方がぜんぜん違うんですよ!」と我が意を得たりといった様子で答えた。

彼らは僕よりも数週間前から教習を受けており、多少の不平を抱えているようだった。ひとりはマニュアル志望だったが、あまり技能が向上せず、中途から学校の勧めもあってオートマ限定に変えた。ふたりとも技能向上に欠かせない指導が的確ではないと感じている節があった。つまり、自分にあったサービスが行われていないというわけだ。

ふたりのリアクションはいまの暮らしでは当然だと思ったけれど、あらゆるところに石敢當を目にし、青すぎる空の色と潮の香りを含んだ風を感じるにつけ、その当然さをここに持ち込むことが果たしてどこまで妥当なのかなと思いつつ話を聞いていた。
初日でいきなり試すようなことをしてきたことに面食らったけれど、僕はそのことに不満を覚えたわけではなかった。それは運転経験があったしクリアーできたからではなく、それはそれとして受け止める以外にしょうがないと思ったからだ。

比較してもぜんぜん妥当じゃないなと翌日になって改めて思ったのは、初日の講習の終わりにあたり「明日は何時からですか?」と聞いたら「10時から技能教習、やりましょうね」と職員のお兄さんは答えてくれたのだが、翌日から暦通りゴールデンウイークに入ったようで、職員は誰も来なかったからだ。

僕は「明日」のつもりで聞いたけれど、担当のお兄さんは「次回」のつもりで答えたようだ。そもそもゴールデンウイークは休みだと聞いてなかった。おかげでそれから4日間は毎日海へ行って、その美しさを堪能できたからよかったけれど。

自動車学校ではカリキュラムは全国一律に定まっているし、この学校にしたって特殊な運転方法を教えているわけでもないけれど、個人のキャラが立っているのは確かだった。

それに学校の色もそれなりにあって、週末になると受付のカウンターに教習所内で揚げた、けっこうな量の魚のてんぷらが出される。最初はなんだと思ったらおやつだった。車の運転と魚のてんぷらとか学校が終わる時間になると一斉に職員が帰宅するとか、いろいろとそういう現物をもって内地とは違うんだと知らされるにつれ、内地の暮らしのあり方とこちらを比べても仕方ないなと思うし、同じような対応を望むならわざわざ宮古に来る必要もなかった。

最初は「こっちの人はのんびりしている」と思っていたけれど、その片付け方は10日も過ぎると違うんじゃないかと思うようになった。きっかけは見る人、出会う人の顔が沖縄本島とも違ってとにかく濃い。だから「ほんと、濃いなぁ」と独りごちていたのだけど、ある瞬間、「あ、宮古の人が濃いんじゃなくて、僕の顔が薄いんだ。ここでは僕がマイノリティなんだ」と気づいたからだ。比較する軸をずっと同じところに置いていても仕方ないなと、環境に知らされた感じだ。

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ポルノを見るのをもう止めた

「わたしたちはセックスのことをいつも話題にしているわりに、女性のセクシュアリティに関して古い情報しか知らない」ナオミ・ウルフ『ヴァギナ』

 昨年末、映画館で「紙の月」を、自宅で「パーマネント野ばら」を観た。
宮沢りえ主演の「紙の月」は銀行員の横領事件を扱い、菅野美穂主演の「パーマネント野ばら」は漁村の美容院を舞台にと、それぞれテーマは異なる。私にとってはそれらの作品は「ヴァギナをめぐる物語」に見えてしまった。ちょうどナオミ・ウルフ『ヴァギナ』を読んでいたことが影響している。

「紙の月」でぎくりとしたのは以下のエピソードだった。

専業主婦だった梅澤梨花(宮沢りえ)は契約社員として銀行で働き始めた。夫婦間は表立っては冷めては見えない。ただ、長年の結婚生活に“ありがち”な倦怠のもたらす深刻なすれ違いが描写される。

梨花は初めての給与で夫と自分にペアの日本製の腕時計を買う。彼女にとっては安い買い物ではなかった。夫は「ありがとう」よりも先に「自分のために買いなよ」と梨花を諭し、「カジュアルな時計だから、ゴルフをするときにでもつける」と朗らかに言う。

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また後日、夫は海外出張でカルティエの腕時計を土産に買い、梨花に「そろそろ君もこういうグレードの時計をつけたほうがいいんじゃないか」と微笑みながら渡す。

夫は「気心の知れた間柄」を親密さと思っており、「妻はいて当然」な存在だ。梨花はそこに明確に言葉にしようのない虚しさと埋められない寂しさをはっきりと覚えている。だから、せめてと同じ時を刻む腕時計を選んだのだった。

だが夫にはただの腕時計でしかなかった。そのうえ「グレード」という「ありうべき妻」を悪気なく押し付ける。映画の中で、夫婦は慈しみの言葉をかけあうこともなければ、手を握ることもない。おそらくはセックスレスであるという描写がなされる。

ひょんなことから梨花は若い恋人を得て、横領した金で豪遊し、快楽を貪る。やはり年若い男も悪意なく彼女の振り絞った優しさをあてにしても、彼女を見はしない。セックスはしても、彼女の体にこもった寂しさという決して絶叫にはならない声が聞こえない。耳に届かない。

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「パーマネント野ばら」は特定のエピソードを持ち出すまでもなく、全体が傷ついた女たちの物語だ。
離婚したなおこ(菅野美穂)は娘を連れて、母の経営する美容院に身を寄せている。美容院は町の女たちのたまり場で、セックスにまつわる話をあけっぴろげにしている。なおこの幼馴染のみっちゃん、ともちゃんも美容院にたむろするひとりだ。それぞれヒモにたかられ、裏切られ、DVを振るわれと男には苦労している。

町に住む女たちはたったひとつのことが手に入らない。
それはただ愛されること。女たちは愛という言葉を使いはしない。信じていないふりをしている。けれども誰もがそのことに深く傷ついている。寄ると触ると猥談になるのは、女性であるとは性的な存在であるほかなく、そのことに深く傷ついてきたことの裏返しであるとも見える。

私はこれらの作品に感情移入できたのに、現実ではどうかと思うと彼らと同じことをしている。そのことに気付かされたのは、先述したようにナオミ・ウルフ『ヴァギナ』を読んでいたからだ。

この本は「ヴァギナとは何か、女性がセックスで何を本当に必要としているか」を明らかにするルポルタージュである。人によってはニューエイジめいて読めるだろうが、私にとっては退っ引きならないところに押しやる、痛棒を加える書だ。

だから改めて考えた。どうして自分は「紙の月」や「パーマネント野ばら」の男たちのように、目の前にいる女性を見ないままに、のうのうと生きてこられたのか。それでいて慰めやいたわりを一方的に得られると脳天気にも思っていられたのか。

ヴァギナとセックスに関する探求がなぜに「目の前にいる女性を見ないでいられるのか?」といった問いにつながったかというと、映画同様、この本における調査でも異性愛者の男たちはヴァギナを求めはしても、彼女を求め、欲することが何を意味するのか。求め、欲することで何が交換されるかがわかっていない。そのことが暴露されていたからだ。

この鈍さは男性性に由来するのか。それともあくまで個人の問題なのかはわからない。だが、いまの社会で男性であろうとすれば、身にまとってしまう文化がしからしめたものだと思う。

そのような文化のもたらす男たちのセックスに対し、彼女たちは不満をもっている。なぜなら「わたしたちの文化の紋切り型のセックスは目的を達すればいいだけの、体の一、二ヵ所をそそくさと簡単に刺激するだけのもの」でしかないからだ。女性たちはたんなる刺激が欲しいのではない。これはアメリカに限った話ではないだろう。

ヴァギナをセクシーに飾り、多少は自らの意志で開放的に扱えば、セックスを刺激的にするかもしれない。けれども、それは「イデオロギーにヴァギナを押し込めている」。つまりは「ヴァギナの本当の役割と多面性を自発的に無視している」ことでしかない。

ヴァギナの本当の役割とは、深いオーガズムの体験へと誘うことであり、それが彼女たちにとって「性の目覚めの瞬間」となり、「女としての自己意識が高まる」ことでもあるからだ。ナオミ・ウルフによれば、セックスはクリエイティビティと自信にかかわる重大な問題で、人生の悦びにつながる。

大袈裟に思うかもしれない。
最新の研究によればオーガズムは自律神経系の活性化を促し、それに伴うドーパミンなどの物質の放出は「解放感、恍惚感、充足感」「心に愛が満ちあふれ」るといった、世界を全肯定するようなパワフルさをもたらす。ナオミ・ウルフの取材では、多くの女性がセックスの豊かな体験の後にクリエイティビティやインスピレーションを得たと述懐する。

「性のエンパワメントを得た女性が幸福になり、希望と自信に満ちていることが生物としての仕組みにもとづいているのだとわたしたちはようやく気づいた」

だから単線的に快楽を求める男性のしかけるセックスが女性に快感を与えても、彼女たちの「不満はだんだんつのっていく」。たとえ、それによってオーガズムが得られたとしてもだ。何が受け取りを拒否しているか。そのセックスは「生きる悦び」「感情を満たす意味深いもの」ではないからだ。

セックスは「人生で接するあらゆるものと強く結びついているという感覚」をもたらす。これはヴァギナと脳のつながりがもたらすケミカルな関係で、それを知ることが「女性の体とセクシュアリティ」の理解につながる。
そして自律神経の活性化には安心して身を任せられる心身の状況が欠かせない。それがいたわりであり優しい言葉かけであり、「女性が人生で求めていることにどんなときも気を配るべきだということだ」という配慮であり、何よりあなたを見つめることである。

ようは、「いま・ここ」にいるあなたへの全身での関わり、という至極当たり前のことだ。ナオミ・ウルフによると、これがたいていの男性にはできないという。少なくとも私はできていなかった。

私が過去を恥ずかしく思うとしても、関わった人を恥じ入らせるつもりはない。ただ省みれば、長らく私にとって目の前の人への関心とは、その人を通して得られるものー快楽やいたわりや自分だけに提供されるであろう理解ーへの期待が大いにあった。その人ではない空想の出来事だった。私が行ってきたセックスは自身と深く関わることのない「性行動」だったのではないかと思う。

性行動は性欲という本能に基づく衝動がもたらす、という説明がよくされる。だが冷静に自身を見ていくと、突発的と思っている衝動は実は充分に学習され、馴染んだ情動の発露だ。私たちが「本能」と呼んでしなだれかかるものの大抵は、慣習化された情動で本能そのものと関係ない。

関係ないのだが、ひどく単線的に向かう行動の粗暴さが当の男性自身にとっても本能めいて見えてしまう。「攻撃性と性欲をつかさどる脳の領域が近いところにある」という説明は妥当なのかもしれない。しかし、男性は本能の否応なしの力を攻撃性として断片的に学んでいるのではないか、と私は思う。とくに近年はポルノによって。

ポルノでセックスを学んでいると聞くと、「現実とバーチャルの区別がつかない」といった陳腐な批判に扱われがちであるものの、果たしてそうか。たとえば言語や貨幣はバーチャルだが、私たちはそれらと現実の区分がついていない。というより互いが照応しあっており、区分などつかなくなっている。

男性向けポルノで見られる、ペニスをヴァギナに差し入れることを刺激的かつ執拗に描くメディアが意味するのは、それを快感とするリアクションが男性に期待されていることだ。
仮構の行為を「あれがセックスなのだ」と思えるのは、男性の想像の具象化だという合意が行われているからだ。そして男性たちはメディアの中の行為をセックスだとみなしてきた。それはバーチャルを現実として学習することにほかならない。

男性はポルノに見たいものを見て取る。見るとは特定の見方を学ぶことである。刺激に富んだものは次々に現れても、新しいものをそこに見ることはない。このサイクルに破綻はない。しかし、そこから排除されているのは、セックスに欠かせないはずの互いの体の関わりだ。

特にインターネット上に散乱するポルノには、セックスにいたるまでの眼差しや心づかい、誘う言葉もなく、あたかも逆上しているかのように腰を振り、物理的にオーガズムにいたらせることに血道をあげる。そのように「性欲と攻撃性」がわかちがたく感じられてしまうとき、確実に「新しいテクノロジーにいいように食いものにされている」。

快楽を与えること、快感を相手から引きずり出すこと。そこに私の体への注目もいたわりもない。私の体に目が向かないものが、どうして他者の体に注目できるだろうか。

ただいたわり、やさしい言葉と愛撫を望む。それは女性も男性も同じだろう。しかしどうして男たちにはそれができないのか。私に関していうならば、素手素面で相手と向き合うことを恐れていた。女性は概念越しの存在で、快楽は追求したり繰り返したりできるような観念でしかなかった。私は女性の体を、ヴァギナを知らなかったのだ。

「パーマネント野ばら」でなおこは高校教師と付き合っている。唯一彼女の寂しさを癒してくれそうな男性だ。だが、本当はその男性はとっくに死んでいる。なおこの周囲の女たちは彼女が付き合っているという相手は幻覚だとわかっている。だが誰も幻覚だと否定しない。

なおこは「わたし、狂ってる?」とみっちゃんに聞くと、「そんなんやったら、この街の女は、みんな狂うちゅう」と彼女は返す。女たちは男たちの寸法に合わせた女を演じてきた。そうすれば愛が得られると思っていた。
しかし手に入らなかった。他人の夢想を生きるといった、じゅうぶん狂った生き方をいままでしてきたのだ。もう好き勝手に生きさせてもらう。幻覚だろうがなんだろうが。

現実よりも幻覚を生きているのは男のほうなのではないか。「パーマネント野ばら」では、なおこの義父にこう言わせている。

「男の人生は深夜のスナックや。夜中の2時にスナックにハシゴする男の気持ちがわかるか?俺という男はここで終わりにするわけにはいかんのや」

「男の生きざま」とは、こうした箸にも棒にもかからない通俗さの変調に過ぎないのではないか。

ナオミ・ウルフはこう述べる。
「愛、セックス、親密さを女性は真剣に考える」なぜなら「わたしたちに超越的な経験をさせる自然の力が女性を事実に向き合わせるからだ」。

愛は観念でもイデオロギーでもないのかもしれない。狂った世界から現実に降り立つには、自分は何を見ているのかを見る必要があるようだ。
だからポルノを見るのをもう止めた。

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官邸前を那覇から望む

5年ぶりに那覇空港に降り立つと、内臓がぎりぎりと締め上げられるような暑さに迎えられた。梅雨明けした那覇は“うだるような”ではなく、文字通り全身がうだった。

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地元の人の弁では猛烈な暑さの日には天ぷらを食べるという。本州の人間としては食欲の湧かない日に、まして油物を口にする気にもなれない。
しかし、沖縄の地口の表現は忘れたが、苛烈な熱気は体から「脂を絞る」のだという。たしかに内臓が干上がりそうな熱波に向けての「脂」という言い回しは言い得て妙だ。そうだと頷くような暑さだった。

6月30日、安倍政権は集団自衛権の解釈変更を閣議決定で行った。抗議する約4万人が官邸前に集まったその日、私は那覇にいた。元はヤクザでいまは唄者になったA氏へのインタビューをするためだ。

取材の本筋の話をよそに、ときにA氏はテーブルを叩き、気合の入っていない日本人の現状を嘆き、尖閣や竹島といった領土問題について吠えた。一方で「沖縄は日本ではない。琉球だよ」と言う。
領土は中心からコンパスでぐるりとめぐらす範囲で描かるようなものだとしたら、「日本ではない」沖縄に生まれ育った彼が日本の領土問題について憂う。その真意の芯はどこにあるかわからない。

翌日、A氏の経営する民謡酒場でショーのあいまに彼と友人たちとの会話を聞いたのだが、これほど濃いウチナーグチを聞いたのは初めてで、まったくわからなかった。沖縄に来訪している外国人観光客の大半を占める中国人のしゃべる広東語や北京語を聞くのと変わらない。それくらい理解しかねた。

言葉も民俗も「ほとんど日本とは思えない」と感じたが、そう思った途端、「ほとんど日本」の意味するところがわからないことに気付く。まったき日本を体験したことなどない。たぶん誰もないのではないか。
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ただ自分の生きてきた範囲のごく限られた体験で触れたことを以って日本だと思っているだけで、つまりは個々の思っている記憶が日本のすべてで、それ以外の地図で見たような、統計で見たような、「ここからここまでが日本」と呼べるような日本に出会ったことなどない。
「ほとんど日本ではない」と言ってしまう自分は宛にならず、「ほとんどの日本がわからない」まま生きている。

そうではあっても、何事につけ「わからなさ」を許せない世相ではあるのは間違いない。
官邸を取り囲む人の数の正確さを問題にする人がいた。そんなに盛り上がってはいないという揶揄の意味もあるのだろうが、それよりもあらゆる時と場において正確さを重んじたい心性がうかがえる。

怒りの声を挙げた人に、正義を信じて疑わないイノセントさを見て取り慨嘆する人がいた。自分の感じていることより計測されたもの、「より正しくあろうとすることが正しい」という信念に貫かれているのだ。
新宿で焼身自殺をはかった人がいた。迷惑だからやめろ、テロだと詰る。迷惑か否かだけがあなたの生きるよすがなのかと思う。

何であれ、「ここからここまで」と正しく記述でき、目に見える形にしないと信じることを自らに許せない。手間暇をかけて実感を持たないと不安で堪らない人がたくさんいる。

そうであるならば、解釈で憲法の内実を変えようとするなどは不正の極みであり、為政者に怒りの声を挙げるのは当然なのだが、正しくあろうとするあまり、「怒りでは何もなしえない」とたしなめる人も現れる。正しさに飲み込まれるといったい自分がどの地点に立ち、何を言っているのかもわからなくなるのか。

この国でいちばん問題になっているのは、実は正しさを巡ってのことなのかもしれない。

怒りは何も生まないわけではない。怒りは力を生む。力が物事を前進させてきた。
しかし、力は人間を新たにしたわけではない。人間は生まれてこの方、前進するどころか後退している。それを噛み締めておかないと過誤を犯す。あのとき見えていたはずのことが見えなくなってしまう。

平和を守れ、戦争をするなという。正しい言明だ。
それなら、いままでの平和な日本を維持するために代償を正しく払ってきた沖縄はどうなるかと思いは行き当たる。「ほとんど日本ではない」から視野の外だったのだ。
怒りの声はこの島にも満ちていた。考えてみればずっとずっと怒っていたのだ。

国際通りの荒みは激しい。土産物店からハイサイおじさんが聞こえた。この歌は大阪のラジオから火が着いたが、子供の頃は異国的で明るい曲だとばかり思っていた。ずいぶん後になってから、喜納昌吉の隣家に住む沖縄戦を生き延び、心を病んだ人のことを歌ったのだと知った。おじさんが娘を我が手で殺したとか、いや奥さんが手をくだしたのだとか、背景についてさまざまな憶測があるが、本当のところはわからない。

けれども沖縄戦では、ガマの中で同様のことが行われていたという証言が多数残っている。10万に及ぶ民間人が死んだのだ。親族の誰かが死んでいる。誰しもが心当たりのある暗さ、重さを、声にならない怒りをその身に沈めてきたのではなかったか。
私は記述してしまえるような正しいストーリーにならない、切れ切れの、ときに疎ましく感じる数多の声を聞き逃してきたのだ。

今回の滞在では、一知半解であることを承知で使うのだが「マブイ(魂)を落とした」としか表しようのない人と出くわす機会が多かった。前回の旅では感じなかった腹にこたえるような重さ、暗さを感じた。いったいどうしたことだろうと驚いた。

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ウチナーグチから、やまとことばに替えたA氏が言うには、「沖縄の人は明るいと思われているけど。そうじゃないよ。暗いよ。自殺も多いよ」という。

力を誇示して生きてきたA氏の全身には彫り物がある。その刺青は侠気の証より魔除けに近い。重さ、暗さに引きずられないための。
彼は見えない世界の話について饒舌に語る。
「うちの店は、霊感の強い人が来た日は入る客は減るのよ」と腕周りに何重もつけた腕輪を触りながら言う。私の訪れた日、客は極端に少なかった。

暴力とスピリチュアルな世界は一見相容れないと思えるが、少なくとも彼の生きてきた暮らしでは、スピリチュアルはごく身近なものとしてあった。彼に喧嘩の仕方を教えた叔父は空手の遣い手だった。三人を相手にした街頭の手合わせ、カケダメシでは「実力差がありすぎるから」と自分は座ったままで三人を難なく相手した。
普段から叔父だけには見える相手に体を動かしては研究に勤しんでいた。彼は叔父について「見えないものが見えた人だったよ」とさらりという。見えすぎたせいなのか後に自殺した。

その話を聞いた夜、暗い路地の突き当りをいくと不意にあらわれた亀甲墓を見て、そうかと腑に落ちた。そういう土壌なのだと思った。この感覚をエクゾティズムと言われようが、そう感じた。

「沖縄は日本ではない」と彼が言ったことを帰り際、空港で思い出す。私にわかるようにやまとことばで話した。日本語で「沖縄は日本ではない」と聞くとき、日本がぶれて見え出す。ぶれているほうが現実なのだ。

もうひとつの現実めいた正しい現実世界では、他国の戦争に日本は参加できるようになった。愚かしい選択を不正な手続きによって行ったと思う。
しかし、この問題を正しく解き明かせる軸がどこにあるのか。私にはわからなくなってきた。

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鹿児島旅行記

鹿児島にある障害者支援センター、しょうぶ学園のパーカッショングループ「otto&orabuが主宰する「踊るサウンドマジック」を見に、霧島まで行ってきた。ゲストは高木正勝さんとおおたか静流さん。

ひとつひとつの演奏を取り上げたらそりゃプロのほうが上だ。でも、otto&orabuの演奏を聴くといつも思うのは、その上なり下なりといった評価はいったい何のためにあるのか?ということだ。
ただ音を奏でる原始的な行為には評価を差し挟む隙がない。いったいプロってなんだろう。うまい・ヘタだとかできる・できないとか、僕らがこだわるあれらはほとんど無意味に思えてくる。

霧島のすぐ隣は天孫降臨で名高い高千穂とあってか、その日の空には龍のような雲がふたすじほどたなびいていた。緑と風が心地いい空間で音楽を堪能した後、霧島の宿に向かった。

ホテルのフロントに着くと、受け付けの人は僕が日本語をしゃべれると知り安堵した様子で、「どうしようかと思っていました」と話した。東京や大阪では、そういうことを思っていても口に出さないから、とても無邪気だと思う。外国人観光客に戸惑いを感じているようだ。

フロントから離れたコテージに案内され、部屋や大浴場の使用法を説明してくれた人も同じく緊張していたようで、「日本語がわからなかった場合に備えて、英語で書きました」と言うので卓上を見れば、折り紙の鶴とともにウェルカムメッセージが置いてあった。

「むしろ英語は苦手です。日本語しか話せないんですよ」と言うと、彼女は「見かけだけで判断してはいけませんね」と笑う。
「やはり韓国や中国からの観光客は多いのですか?」。そう尋ねると「はい。増えています」と返した。たしかに別府や宇佐、阿蘇でもガイドブック片手の韓国や中国、タイからの観光客を多く見かけた。

霧島をタクシーで走る中、修学旅行や団体旅行向きの大きなホテルをいくつか見かけた。霧島に限らずプール並に大きい浴場を名物としたホテルが以前は各地にあったものだ。そういうところでは、なぜかハワイアンショーみたいな、誰のためなのかわからないサービスを提供していた。異国情緒をペンキ絵で仕立てたような観光のあり方が80年台にさしかかる頃まではあったと記憶している。

国内の団体旅行が減っている上に、いまはそうした大雑把なサービスでは客は呼べない。まして外国から来る観光客にとって魅力があるわけもない。観光客は美味しいご飯と温泉と心地よい景色、小回りの効いたおもてなしを期待している。アジアからの訪問者を呼び寄せる工夫が活路になっているのは間違いないだろう。
けれども「どうしようかと思っていました」と素直にいうホテルの従業員の言葉には、「なぜうちを見つけたのか?」といった半信半疑の響きもあるようで、何を提供することが魅力なのか自身もあまりわかっていないように思えた。

翌日、霧島神宮へ。
これまで香取や宇佐、太宰府にも参ったが、まだ手付かずの“何か”があると感じさせられた。本当に気持ちのいい社だった。参道で高木さんとバッタリ会い、なんだかご縁を感じてしまった。
その後、鹿児島市内へ向かう。路面電車に乗ると川内原発の作業員募集の中吊り広告があり、その脇には地元のデパートで46年行われているビアガーデンの開催を告げる広告があった。

パチンコとカラオケとチェーン店が目立つが、かといってそれらに活気があるというのも違う。営業中であることは確認できるが、それ以上ではない。どこの地方都市にあるような風景なのだろうが、その景色と市電で見た川内原発、ビアガーデンの広告を思い返すとふと思う。鹿児島においても「今日より明日はもっと良い」というような、日本全国を覆った多幸感に感電していた時期がこの土地にもあったのだろうか。

横断歩道の脇に降り始めた雨を少し堰き止めるように桜島の火山灰が薄く積もり、ざらざらとした感触を靴底に感じたまま道を歩く。鹿児島に来るたび思うのは、このざらつきだ。人々の顔も明らかに違う。誰かに似ているといったなぞらえができないような容貌だ。
いまどきは役者でも時代劇に合わない顔つきをしているが、鹿児島には現代人だけれど時代劇に映える顔をした人が多い。街も東京や博多のような都会然とした顔つきをしていない。それは経済の活性に比例した洗練具合だけで片付けられないように感じられて仕方ない。

僕はカフェや雑貨店、スウィーツが好きだから、それを基点にして街を見てしまうけれど、街の魅力が消費やフリルだけで語れてしまうわけもなくて、まして魅力ある土地になるということが、じゃらんや食べログのランキングで上位になることでもない。

誰もがクレドカードをポケットにしまったツルンとしたサービスを提供するならつまらない。
だからといって「新鮮な野菜を粗塩で召し上がれ」みたいな都会との落差だけを魅力として抜き出すという手抜きでもなく、そこでしか味わうことのできない魅惑ある場所にすることがお金の流れを導くことなんだろうけれど、それを「これまでとは違う経済のカタチ」と言うだけでは何にも言っていない。そんなことを思いながら名物の白熊をしゃくしゃく食べていた。

東京から離れるという選択を本格的に始めて8ヶ月経った。
九州という島は東京からすれば端に位置するのだろうけれど、東京もアジアのローカル都市のひとつという視点からすれば、国内だけで通じる端と中央という関係性で自分の住処を捉える見方ももう賞味期限切れであることは間違いなくて。

だからといって地方都市の時代などと言えないくらい経済活動は不活発だ。それでもどうにかこうにか生きているという現実があって、その現実が何によって成り立っているのか。それを見ていく必要が僕にはあるんだろう。