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自分に関するマニュアルの欠如

清々しい思いで寮としてあてがわれていたマンションを退出した朝、空は夏の盛りを迎えようとする蒸れた青で染め抜かれ、人生そのものは先行きは荒天模様であっても、心中は極めて晴れやかだった。

それにしても僕のダメなところは、生理に忠実に行動する・用意周到に抜かりなく行動する・一瞬の熟考をもって行動する。この三位を一体とする、行動を統合するためのマニュアルをもっていないところで、つまりは社会に出るまでの教育期間中に、自立と自律に向けた身体をまるで整えていなかった。

どうしてここで身体と書いたかというと、行動は概念によって導き出されないからだ。何かの考えを覚えることで自分の行動が万全となるべく統合されるわけではない。
今日日、概念を実行することが人生だとか生活だとキャリアプランだとか思われているけれど、そんな倒錯した考えを信じているとすれば、たんなる変態でしかないだろう。当たり前だが、現実の進行は概念以前だ。

言葉によって考えられることは、突き詰めると「あれかこれか」しかない。ようは善悪・是非・正誤といった分類しかできない。
でも物事はそんなふうに割り切れない。だから何かの判断をくだすときに胸のあたりにわさわさする思いがしたり、しっくりしない感じがしたりするのは、体感つまり身体による計測が自分の分類の粗雑さをどこかで知っているからで、詰めの甘さが身体に残るからこそ感じる胸のつかえや腑に落ちなさというものがある。

総身を使って物事を捉える。これを本来は思考というはずだが、脳や感覚だけについ引きずられてうっかり行動に出てしまう。それが自分に対するマニュアルのなさ、教育の欠如につながっていることなんだと思う。自分の穴を知っておかないと埋めることもできない。

僕の面倒臭いところは、だからといって、ただ闇雲に突貫すればいいとも思っていないことで、にもかかわらずサバイブするための周到さを欠いたまま行動しておきながら、「なんとかなる」と根拠のない自信を不安と釣り合いがとれるくらいはもっているところだ。
自分と自分をめぐる状況に関するそれなりの見通しをもっていれば、そんなアクセルとブレーキを同時に踏むような手間のかかることはしなくていいはずなのだが、生理的にがまんならないことへの堪え性の無さが周到さと熟考を顧みなくさせてしまう。
そこが坊ちゃん育ちの甘さに由来するところだと思う。

甘さが放置されて来たのは、そうであっても他人の好意によって生きてこれたからだが、それがありがたいことでありかつ問題でもあったと後年感じたのは、ピンチを迎えたときに手を差し伸べてくれる人が必ず現れることによって、自分を教育することを怠けていても生きてこれてしまったからだ。

本当に損なわれてしまう前に他力によって救われたことが僕は本当にたくさんあって、いまみたいな、「不況だから余裕がないのだ」という一点の原因だけで解説できないような、個人が見向きもされずに放置されることをもって自立と言われる異様な時代にあって、それはとても幸いなことなんだと思う。

1990年代末期から2000年初頭にかけて無差別殺傷事件が陸続として起きたが、時代の流れからすれば、世の中から見放されたと感じ、自暴自棄になって自分も他人も損なってしまうべく行動に出ることはとても容易で、僕はその動きに見事にのってもおかしくなかったロストジェネレーションの先駆けだった。

社会に出てからこっち、ずっと貧乏ではあるけれど、貧苦が心に抱く思いの鬱屈を増し、それが血膨れし始める前に必ず手を差し伸べてくれる人が現れた。なぜなのかはわからない。
僕はその恩恵に見合うだけの何かを提供したとも思えない。僕はたんなるデクノボウだったから。だから完全な贈与によって僕はこれまで息を継いでこれた。

何の目算もなく会社を辞めた途端、あまり話したことのない大学時代の先輩から電話がかかってきて、僕は報道ステーションの前身のニュースステーションやNHKの番組をつくっているテレビの制作会社でADとして働くことになった。これも贈与だった。

サーブを拾いまくるところから東洋の魔女と呼ばれた。

ADというのは気を使うことが仕事みたいなもので、たとえていえば大松博文監督の指導のもと「東洋の魔女」と言われ、東京五輪女子バレーで金メダルを獲得した選手らの身につけた「回転レシーブ」に匹敵するような、とにかく機先を制し、言われていないことも行う。気配を拾いまくることが大事なのだが、僕はデクノボウなのでまったく気が使えない。

というか、FAXの使い方も電話の掛け方もわかっておらず、本来すべき雑務を上司が行うというような始末だった。たぶん周囲は、予想以上の使えなさに僕を持て余していたのだろう。が、なぜか社長には気に入られた。

初出勤前の社長との面談で盛り上がったのは、仕事の話ではなく、石原莞爾や大日本武徳会に関することで面接は短時で終わるだろうと思っていたら、その日は家に帰宅できず、朝までお酒を飲みながら会社で話すことになってしまった。

社長は彦吉常宏さんといい、早稲田の全共闘副議長だった人で、剣道と中西派一刀流を学び、世が世ならば剣で立身を試みた人だった。つまり今の若い人が思い浮かべるような左翼人士ではない。

麿赤児とも馴染みの中で、彼が芝居をする金に困っていたところ「じゃあ一緒に行きましょう」と訪れた先が、5.15事件を起こした元海軍中尉の三上卓で、特に面識があったわけでもなかったという。
お金の算段をつけてもらったのかどうかまで知らないが、とにかく初見でいたく三上卓に気に入られたそうで、そのエピソードからわかるようにようは浪漫派なわけだ。

会社は赤坂にあって、ときおり近くで接待の宴席が設けられた日などは、電話がかかってきて、僕は店に呼び出された。客人の姿はすでになく、テーブルの上にはまだ温かく手のつけられていない食事が残っていて、彦吉さんは「お腹が空いているだろう。食べなさい」と言う。
そんなときは、たとえ既にご飯を食べていて満腹でも、テーブルの上の食事を全部平らげた。それくらいしか自分にできることはないと思っていたからだ。

何かを察したのかもしれないが、あるとき彦吉さんはこう言った。「別にいまは何かできなくたっていい。おまえはいりゃいいんだよ」。

振り返れば、いつも何かできるようになることを促されていた。そんなふうに全肯定されたことがないので、僕は不覚にも泣きそうになってしまった。
でもなんだかここで涙を流したりしたらとてもチンケな感傷をまとわりつかせた野暮なオチがついてしまいそうだから、気配を悟られぬようパスタを口いっぱいに頬張ったのだった。

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「ル・アーヴルの靴みがき」

先日、アキ・カウリスマキの新作「ル・アーヴルの靴みがき」を観た。

舞台はフランス北部の港町ル・アーヴル。靴磨きをして生計を立てるマルセルと妻のアルレッティ、犬のライカ。貧しくも幸せな暮らしを送る夫婦の日常に突如現れたのが、アフリカから密入国した少年イドリッサ。マルセルはイドリッサを自宅に匿うのだが、それと同時にアルレッティは病に倒れ、余命いくばくもないと告知される。

こういった筋立てで、詳しくはぜひとも劇場に足を運んで見て欲しいのだが、僕がたいへんおもしろいと思ったのは、徹底的な善意が物事を推し進め、障害をパスしていくところだ。(これは「世界最速のインディアン」と似ている。ところで以前は敵は外部からやって来る内容の映画が目白押しだったけれど、僕の拙い映画経験からすると「トータル・リコール」からこっち、「ありえたかもしれない世界を描く」内容が繰り返し描かれている気がするのだがなぜだろう)

善意は貯蔵庫に保管してあるようなモノで、余裕のあるときに他人に与えることができる。つまりは気まぐれさと経済力次第で他人に分配できるものだ、と思ってしまいがちで、かくいう僕もそうだ。

当たり前だろ? 人生は世知辛いのだから。そんな考えからすれば、「ル・アーヴルの靴みがき」など、あくまで現代の御伽噺であり、劇場で鑑賞するつかの間に味わえるファンタジーだと思えてしまうだろう。
でも、僕は「あれ、この映画の世界のほうがリアルなのかもしれないぞ」と思わされてしまった。それくらい強度があった。つまり現実を生成する力があるということだ。

御伽噺は、現実にありえそうもない架空の、僕らが「そうあって欲しい」と願った内容がつくりあげた空想に過ぎない。たぶん、そういう理解がされているだろう。御伽噺では、勇敢な人がへこたれることのない意志と疲れを知らない熱情をもって人々のあいだに奇跡を起こす。

聞き手は、あらゆる抵抗を越えていく登場人物の姿に快感を覚えつつも、あまりの手応えのなさを同時に感じもする。なぜなら挫折も後悔も葛藤もそこには存在しないからだ。
あらゆる困難さは、やすやすと乗り越えられていく。乗り越えられるために用意されているかのように。だから人はそこに平坦さを感じる。現実は挫折と後悔と葛藤に満ち満ちているから、あまりに陰影に乏しく思う。

だがしかし、もしもその奇跡にも思える物語の只中に自分の身を置いて、それらを体験したとき、とうてい奇跡的な出来事が平坦であるわけなどないことに気づく。めちゃくちゃ抑揚と起伏に富んだ、ただならぬ事態が進行していることを知る。

たとえば次々に形を変える波をさばくサーファーを結局のところ言語で描写すれば、「波に乗っている」と凡庸にしか表せないが、刻一刻と変化する波の上を滑空し続けるのは、おそらく現在のコンピュータの処理速度ではかなわないような瞬間的な計測の連続で、傍目には普通に見えることほど奇跡的な出来事のなめらかな生起である可能性が高い。

波は動画のようにフリーズしたりしない。自然は常に現在進行中で繰り返しがない。波に挫折も後悔も葛藤もないだろう。そこに抵抗の生じようもない。つまり抵抗とは人間の認識上に発生する出来事で、作為の産物だ。

そうなると僕らが現実と呼んでいる「挫折と後悔と葛藤」に溢れかえった世界のほうが、きわめて平面的だと言えないだろうか。挫折すべく、後悔すべく、葛藤すべく行動しているから、そうなっているだけの入力と出力の振れ幅の極めて少ない、平板な世界ではないだろうか。
挫折するのは期待をするから。後悔は願望通りに物事が進まなかったから。葛藤は想定と現実との違いに板挟みになるから。よくよく見れば、それは現在進行中で繰り返しのない世界の出来事ではなく、僕らの脳内でのみ起きている。つまりは妄想の中で起きている事柄に過ぎず、それを現実だと思い込んでいるかもしれない。

僕らは抵抗感のある現実のほうにリアルさを感じる。逆境にこそ生きがいを見出し、それを乗り越えた姿に奇跡を感じる。逆さまなのだ。何事も穏当に過きることのほうが当たり前なのではないか。太陽ががんばってのぼらないように。

そのことを端的に表すのが作中の刑事ではないかと僕は感じた。
彼は密入国した少年とそれを匿うマルセルにたびたび目配せをする。公的な時間と私的な時間を分けて接触しては「警告」する。それは「法律を逸脱するようなことするな」ではなく、「うまくやれ」という警告で、そのことをあからさまな言動ではなく、振る舞いの中で見せる。

ルノー16。いま見てもかっこいい。

たとえば身に着けているコートに手袋という映画の登場人物のようないかにもな刑事っぽい格好、流線型のパトカーが主流の中、フロントグリルの意匠にこだわりを感じさせる70年代のルノー16、そしてレストランで注文するワインは、2005年物のメドックといった具合に、振る舞いの中で権力という一般の生活とは異なる次元に所属しつつも、生活世界の豊穣さにつながっている様子を示す。

彼もまた善意をつなげる役回りを担いたがっている。なぜなら現実は、たえずそういう意志のもとで紡がれ続けるものだから。だとすれば、「ル・アーヴルの靴みがき」はファンタジーではなく、見る目をもたないものの目には見えないただの現実の姿に過ぎないのではないか。そんなふうに思わされた。

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自己実現という病

研修期間の最後に選ばれた事業がアミューズメント部門、つまりパチンコだった。

僕はパチンコをしたことがない。競馬も宝くじも買ったことがない。あらゆるギャンブルと無縁で生きてきた。

パチンコは、内々でも「民族資本」と言われており、在日コリアンが携わる率の多いことは知っていたが、それは企業に就職し、働き、結婚して家庭をもち、家を買いといった、社会で「当たり前」とされていたコースに乗れない集団が生きていくために見出した活路のひとつであった。ほかのオプションとしては、芸能、スポーツ、街金、ヤクザ、外食といった選択肢もあったが、どれも一本独鈷でやっていくしかない。

ルポライターの猪野健治さんの言葉を借りれば、“己の存在を実力で確保する”ほかない独自の道を選ぶことなく社会に出てしまった僕は、本当ならいつ淘汰されてもおかしくない、生きる上でのド素人であったが、中途半端な学歴と在日コリアンの企業に採用されたという温情により、サバイブする能力を何ら磨くこともないまま企業に入ってしまった。

それが在日コリアン系であれ外資系であれ日系であれ、会社で働くということは、自己実現とかいうくだらない欲望に折り合いをつけての、それなりの姿勢、耐性を身につけてからでないといけないのに、その準備が僕にはまるでなかった。

そのため「この仕事は俺に向いていない」「上司は俺の能力をわかっていない」といったアホ丸出しの思いを抱えており、とはいえ、それを如実に表すと、不貞腐れた態度にしかならない。それはまずいとはわかっているので、「俺がいる場所はここではない」アピールをよくわからない形で出すという、いまから思うと、殴りつけたいようなことを当時の僕はしでかしていた。

たとえば控え室での休憩時間に、同僚や先輩社員と話すこともなく、『一向一揆と部落』や『死を前にしての歓喜の実践』を読むという、何アピールやねん?ということをしていた。

僕はグループの一部門である出版事業を望んでいた。だが研修が明けての所属発表の日、パチンコ店への勤務を命じられた。
その理由は社長の三段論法によればこうだ。「これからのパチンコはマクドナルド並の接客が必要とされている。それには哲学が必要だ。君は哲学科出身だから配属を決めた」。

当時、パチンコはCR機というプリペイドカードを購入して玉を買うシステムの導入で揺れていた。
パチンコの景品がなぜ換金できるか?というところを詰めていくとグレーゾーンだ。

そのグレーゾーンは、当局との駆け引きという年数かけて築かれたゾーンでもある。為政者だって特定集団が貧困化すると社会不安が増大することを知っている。
そのリスクとグレーゾーンの存在を天秤にかけた場合、グレーゾーンをバッファーとして利用することくらい当たり前の話だ。しかし、思いの外、パチンコ産業が巨大化したことでグレーが濃くなると、もともとの矛盾も目立ってくる。

だからどうしたかというと、CR機の導入だった。プリペイドカードの販売には警察庁の天下りがつくった団体と商社が絡み、グレーゾーンを既得権としてみなし、再分配によってグレーを存在させるという手法をとった。それが僕が就職した時期にあたる。

当然、産業としてのうまみが減り、当局からの監視が強まる中で、かつてのように射幸心を煽るという方策で客を誘うことができない。そこで考えられたのが、「パチンコをする時間を楽しんでもらう」というギャンブルからアミューズメントへの転換だった。
後にパチンコ産業は神経学者と組んで、パチンコのプレイ中にセロトニンが出て、鎮静するような働きのあるような仕組みを開発するなど、世間が思っている以上にギャンブル性を消す努力をしている。

そういう業界の見取り図を知ることもなく、ただ自己表現や自己実現に囚われていた僕は、パチンコ部門に任命されたことが不当な運命にしか思えなかった。

その一方で、「自分は一人前ではないのだから、不当に思うことでも最低3年くらい働かないといけない」という誰に言われたわけでもないのに、一人前の設定というものをもっていて、それを習得することが大人になることだ、という社会で生きていくには無防備過ぎる他人任せの考えをもっていた。
つまり文句を言わずにとりあえず働けというメッセージと文句たらたらの自分が同時に存在していた。

マクドナルド並の接客を導入していた店は、開店と同時にお客さんに深々と頭を下げる。台がフィーバーすれば馳せ参じて「大当たり、おめでとうございます」と頭を下げ、箱を取り替える。開店から閉店まで毎日来店する人もいる。普通に考えれば、上得意の顧客であるから、あたかもコンシェルジュであるかのように接して当然だ。

けれども僕にはそれができなかった。騒音の中で営業開始から閉店まで毎日いて、あまり健康そうにも見えない人に敬意をもって接することが当時の僕には至難の業だったのだ。どこかで軽侮の念があった。
いまから思えば、なぜ?を侮りではなく、生業への興味に転換することもできたろうが、その人のありようや置かれている状況よりも、自己表現や自己実現のほうが上回っていた僕は、そういう思考がまったくできなかった。

尊敬できない人のおかげで初任給にしてはいい給与をもらっている。なぜ他部門に比べ給与がいいかというと、大学卒業してまでパチンコ店で働くという劣等感への手当であったからだが、それに加えて自己実現欲求に取り憑かれていた僕は、働くことが葛藤と矛盾そのものという状況に落ち込んでいた。

それを解決するには、携わっている仕事に隙間を見つけて新たな意味を見出すか。辞めるかのどちらかしかない。
その決断を迫られる日が来た。

あるときフィーバー中のお客さんの台がトラブルを起こした。処理にあたった僕がまごまごしていると、学生のバイトのSさんがさっと手助けに入ってくれ、まず台の電源を落とした。
それを見たお客さんは「電源きったら大当たりがなくなるだろうが!」と怒った。
するとSさんはニヤリとした表情で、「お客さん、俺らこれでメシ食ってんすから信用してくださいよ」。

僕は彼の言葉に打ちのめされた。「俺ら」に入る資格が僕にはない。自分の仕事に対する自負も振る舞いもわかっておらず、客に敬意も払えない。そんな自分がのうのうと給与を貰うわけにはいかない。

翌朝、僕は辞表を提出した。就職してまだ3ヶ月しか経っていなかった。

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他人の欲望への迎合を己に課す

僕の入社したさくらグループという会社は焼肉のタレ「ジャン」に代表されるような食品会社だけでなく、傘下にはスーパーマーケットやボウリング場やサウナ、出版、レストラン、ゲームセンター、バチンコもあり、多角的経営していた。

新人はひとつの部門につき1週間、全体で1ヶ月あまり体験研修することでその適正を見る運びになっていた。
食品だとトラックに乗って営業先にジャンや春巻や餃子の皮を卸す。僕はトラックに乗り込むや早々に居眠りを始める。
サウナではお昼ごはんを食べれば立ちながら船を漕ぐ始末。遺憾なくボンクラぶりを発揮していたのだった。

そんな僕であっても割りと集中できたのは、スーパーマーケットの食品加工部門で、ひがな一日魚をさばき、三枚におろしという仕事で、これが性にあっているように思えた。

とはいっても、手先が異様に不器用な自分であれば、おろした魚はよくよく見れば、リアス式海岸か!とツッコミたくなるような切断面のものもあり、ときにそれを手にとって買ってくださったお客さんがいるとこっそり手を合わせたものだ。

仕事が終わり、バックヤードで長靴を脱ぎ、前掛けを取り、スーパーマーケットを後に駅に向かう頃には、先程まで感じていた高揚感は失せ、なんとなく不安で不満気で焦燥に炙られる心持ちで、足取りが重くなる。

自分には、取り立ててやりたい仕事というものはないのだから、とりあえず魚をおろすことでもなんでもいいから一人前だと認めてもらえるだけの時間をかける必要があるのではないか? その考えで心のうちに渦巻くよくわからない思いに蓋をしようとした。

いまにして覚えば自分の人生でありながらあえて霞を脳裏にたなびかせていたとは、自分の粗忽さ加減が嫌になる。よくも薄ぼんやりした頭でまあ生きていられたものだと思う。
「なんでもいいから一人前だと認めてもらえる」なんて、他人の欲望に迎合した生き方を課すということで、考えることを放棄しない限り思いつきようのないものだ。

与えられた仕事に熟達していくということは、「それ以外のこと」に目を向けることを止めるよう自らを促すという、悪質なルーティンへに馴れることとは異なるはずだが、どうにもそういう仕事の覚え方が多い気がする。

だから年間3万人も死んでいるんじゃないかと思う。こんなの内戦が起きてるのと同じなのになんでおかしいと思わないだろう。馴れて心身に変調を来たしているのに、そうまでなんで仕事の都合に自分を合わせるんだ。自殺したりするんだ。生きるために働いているんだろうが!死んでどうするんだって思う。

会社に勤めるという労働のあり方が働き方のすべてではないし、もっと言えば生きることがたかが会社勤めに還元されるはずもなく、常に「それ以外」の余白のほうが大きいはずで、だから他人の欲望に殺されんなって思う。

少なくとも大学までに本当に学ぶべきはそういうことだったのだが、最高学府を出ていながらも何にもできない、生きるとは何かをまったく考えもせず、生きる手立ても何も知らない状態で、いわば徒手空拳でジャングルに踏み入るような、とても危険なことを僕はしていた。

無為無策の人間であっても会社勤めをしていれば、肉体的には死なずに済むけれど、自分のいる場所がどういう意味をもっているか。どこに向かおうとしているのか。そういう認識をもっていないのだから、本当なら精神を殺されるような経験をしているのに、そのことにさえ気付かずいられる。

交通事故ですっぱり手足が切断された場合、痛みを感じないが、認識した途端、パニックに襲われ、痛みが走るという。
精神を殺される、つまり考えないようになることを働くことだと思い込み始めた途端、精神は傷み始め、そのことに意味に後で自分が捕まえられるから、自分で自分を殺すようなことが起きてしまう。

でも、人は死にたくはないから、生命の危機を感じることには、“胸騒ぎ”だったり“胸のつかえ”だったりといった頭では理解していても、消音できないアラームがあるはずだ。

僕は「仕事を覚える」という言い方に対してなんだか居心地の悪い思いをしていた。幼い自分であることは認めつつも、学生気分の払拭として持ちだされた「社会人としての一人前さ」がそれらを覚えることで確実に消去されるものがあり、それは学生気分の甘さだけではないという確信がどこかであったからだ。

食っていくということへの自覚は必要で、それを考えてこなかった未熟さは払拭する必要があるのは確かだ。
でも、甘さを捨て去った自分をある組織の都合に接続させれば、大人への階段をのぼれるわけでもなく。それはひょっとしたらいっそう生きることを忘れることにつながるような考えをインストールしてしまうことかもしれない。

23歳の自分はそこまで言語化していたわけではないけれど、わけのわからないおさまりどころのない思いだけが日々募っていた。それが最高潮に達したのは、最後の研修であるパチンコ店での業務中だった。

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誰がため

先日、ひさしぶりにカラオケへ行った。「愛燦燦」なんかを選んだのだが、ついでにMr.Childrenの「タガタメ」を歌った。

Mr.Childrenの曲ってメロディはすごいなぁと思うことが多いけれど、そのクオリティと比べたら詞に不満を感じることも多い。たとえば「名もなき詩」で“ダーリン”と“脳足りん”をかけるような、それで韻を踏んだと了解できるセンスには、ぐはぁ…としか言い様がないのだ。

「タガタメ」の出だしはこうだ。

 ディカプリオの出世作なら さっき僕が録画しておいたから
もう少し話をしよう 眠ってしまうにはまだ早いだろう

わりといい感じでしょ?で、さわりになるとこうなる。

子どもらを被害者に加害者にもせずに この街で暮らすため まず何をすべきだろう?

被害者、加害者という字面も語感もわりと硬い言葉を登場させる前に、その言葉で代表させる前に何かやりようはなかったろうかと思う。
でも、この歌を聞くと涙腺を直撃されるんですよ。

とりわけ

この世界に潜む怒りや悲しみに あと何度出会うだろう それを許せるかな?

になるとダメだ。ヤバい。

たぶん、「愛燦燦」にしてもこの曲にしても選んだのは、最近の生活保護に関する報道、というよりバッシングに強烈な怒りと悲しみを覚えたからだ。生活保護の受給世帯は、寡婦と老人と疾病が多い。他罰的な言葉からうかがえるのは、母と己の行く末に厳しいことだ。

つまり過去も未来も否定するということだ。とりわけ「これから先」を担う子どもたちの希望を奪うような、「何があっても存在していいんだよ。というより、存在することに誰の許しもいらないんだ」と言えない社会が正常なのだと思わせる言葉を大人が吐いていったいどうするというのだ。

それにしても民衆自らが弱い者を率先して叩くことは、権力者にとって最も都合のよいことだが、なぜ権力にとってお誂え向きのことをしでかすかと言えば、それは私たちが権力を欲するからで、権力に預かれないことによる劣情が権力へのおもねりを生んでいる。

スワニスワフ・レッツのアネクドートじみた詩に倣わなくてはいけない。
すべては人間の手の中にある だから ひんぱんに手を洗うべきなのだ

権力への阿諛追従で明らかになるのは、私たちが思い描く権力とは、他人に苛酷な運命を強いることのできる万能さだということだ。
生活保護は恩典でも施しでもなく国民の権利だ。不正でもない受給を非難して返納させ、いっそうの困窮に陥らせることにやんやの拍手喝采をしたとして、いずれ同様の立場に追い詰められ、首を絞められるのはそうして賛同している側だということは、ほんの少し精緻に見ればわかる。

正義の貫徹を求めているというよりも、抜け駆けは許さないとでもいった物言いに思うのは、嫉視と憎悪をあからさまにしても最早恬として恥じなくてもいいという態度であし、僕はそこにまったくの美のない、荒廃した風景の広がりを思う。

こけつまろびつの、ともすればほどけそうになりそうな暮らしの重みにひしがれている人がいる。地を這う暮らしをせざるをえない人を怠惰だと詰る言葉の群れに、端的に優しさと美が足りないと感じる。

冒頭に怒りを募らせてしまったと書いたけれど、怒りは情熱に転嫁しないといけない。
他人の提供した絶望的な筋書き通りに絶望したら、自前で考えることを自ら剥奪することになる。思考を消去しちゃいけない。

話は脇にそれるけれど、先日、六本木へ行った。
いつ訪ねても瘴気漂う街に感じて居心地はそうとう悪いのだが、今回気づいたのは高層ビルが居並んでいるわりには、異様に平面的に感じたことで、直線で均された舗道や壁に構成された空間を歩いていると、自分の中から立体的な感情や思考が消去されていく感じがして、ちょっとおもしろかった。
視覚からの刺激は多いが、どんどん自分の中が単線的になっていく。抑揚が失われていく。

そこでわかったのは、論理にしても単線的なもので世界は構成されているという錯覚が、このいまの社会の他罰的な言説に溢れている現状をつくりだしているんじゃないかと思った。

他罰的な言葉はどれほどやり取りがあったとしても、保守すべき信念とその通り道の往復でしかないのでいっこうに広がりがない。予め定まった単純さに照らしてしかものを言うことができない。つまり思考を奪われた状態に自らを追いやる。

思考は「それは〜である」といった直線の時間配列の形でしか表明できないから、ある前提をつくった途端にきわめて抑揚のない論理を紡ぎ出すこともできてしまう。

でも、線に手を突っ込んで拡張すれば、 無数の「〜ではなかった」可能性を含んだ豊かさが見えてくる。
アスファルトに埋められた道だって、隙間にタンポポは生えているし、風だってそよいでる。目を向け、耳を傾ければ、ノイズをつかまえることができる。

直線の整然さは、「世界は決してそういう姿をしていない」はないことを知るためにこそある。
つまり、自分がある種の信念につかまえられそうになった瞬間というのは、「ベタに見るな」というメッセージの訪れでもあるのだ。

僕は思考の源の言葉についてもっと考えたい。
言葉は音で、それはこの空間に響く。音は伝播していく。この可能性を自ら閉じるのは、私があなたに何かを伝えたいと思ったときに帯びてしまった熱が音となって現れた、その豊かさ、奇跡から目を背けるような行為だ。

私たちが生きているこの世界は、決して社会という制度に還元しきれない。社会の外に広がる何かが私たちを生んだのだから。
訳も分からず産み落とされてしまった世界は、絶えず流動的で心もとないとも見えるけれど、決して固定されることのない豊かさを孕んでいるとも言える。

現実は常に流れており、信念や信条は砂で築いた楼閣に近く、それは波の絶え間ない運動の前に脆くも崩れる。
人が信念について保守でありえるのは、自らを言葉によって縛ったときだけだ。でも、そんなことはできやしない。

言葉は音で過ぎ去ってしまった。過ぎ去った幻影で縄は結うことはできない。

言葉は自らの内に響く音の広がり。だからこの広がりを信念や信条の寸法に切り詰める必要はまるでない。
鮮やかな音の広がる場所に僕らは生きているのだから。