第1号 独立研究者 森田真生

Vol.7 ノイズを受け入れる知性のもたらす功罪

尹 : 「わたくし」を再構成していく上で、環境と場が必要だという話でした。それは、あらゆる空間と時を、自分を書き換えていく環境なり場として見立てるとも言えますよね。

森田 : 最近、埴谷雄高のドキュメンタリーを見たんです。日本酒を飲みながらしゃべっているからどんどん酔っ払っていく様がおもしろいんですが、その中で埴谷雄高は「日本人は観察が粗い」と言っていて、そこがすごく興味深かった。

彼がいうには、日本人は桜の花が散ったら「桜の花が散った」としか表現しない。これがドイツ文学となると、一弁、二弁と散って行って、三つめの花びらが落ちるか落ちないかというときの、その花の心を歌おうとする。それこそが思索の本来だというわけです。

花びらはしゃべれないから、「おまえに代わっておまえの心を語ってやろう」。それが文学者の仕事だというのです。科学的に考えたら、三つめだろうがなんだろうが、花弁に心なんてないと考えるのが普通でしょう。でも、心というものはもともとないところに見立てるものだったんじゃないでしょうか。

心とは語られることによって生まれる何かである

pre01_01_07_p01森田 : 人は他者の振る舞いを見たとき、その人の振る舞いを合理化するために他者のうちに心を仕立てあげたのではないか、という考え方があります。

つまり、「この人は”うれしい”からああいうことをしたのだ」という風に、他者のうちに心という働きを仮定し、それに基づいて他者の行為を推論していくようになった。その後、「私」という存在を改めて見返したときに、「どうやら他者としての私にも心があるらしい」と気づいた。

尹 : 他ならぬ私の心に、私は後から気づいた。心は外に見て取られて初めて生まれたものかもしれないわけですね。

森田 : 花びらだと脳もないから心がない。だけど人間は脳があるから心がある。そう聞くと納得しがちですが、なぜ脳があれば心が出てくるんでしょう。
「神経伝達物質とかアセチルコリンがあって…」と言ったところで、なぜそこに心が立ち上がるのか?の説明にはなりません。
「花弁は単なる物質だからそこに心はない」と言い切れるなら、それと同様に脳も物質にすぎないわけですから「脳に心がない」とも言ってしまえることになります。

逆に脳に心があっていいのと同じくらい、花に心があってもいい。花そのものに心はなくとも、花の代わりに「語ってやろう」というところに、花の心があってもいい。他に心を見出す。「その人の代わりに何か語ってやろう」というところに、実は心があるんじゃないでしょうか。

尹 : 代わりに語る。他者を自分の中で走らせる行為が、心というものを自己と相手とのあいだに浮かび上がらせるのかもしれません。

不可解さの底に浮かぶ「わたくし」

森田 : 埴谷雄高はヘレン・ケラーについて言及しています。ヘレン・ケラーにはたまたまサリバン先生がいて、ヘレン・ケラー自身にも才能があったから自分の気持ちを伝えられるようになったけれど、世の中にはサリバン先生のいないヘレン・ケラーもきっとたくさんいるはずです。

目が見えず耳も聴こえず、真っ暗闇の中に産み落とされて、自分から何も語れない。その人たちは神や自然に「どうして私を産んでくれたんだ」と思っているに違いない。 でも、それに誰も答えてくれない。神や自然が答えないなら、それに答えることを文学を通してやりたいと埴谷雄高はいう。

尹 : それは「わたくし」を外側につくることによって、語れない人たちの依代にする。そのことで語れない心を語る行為ですよね。「わたくし」をつくり変えることによって、見慣れた人間の像を改めていくことができるかもしれない。

森田 : 「なぜ私を産んでくれた」「なぜ生きているのか」「なぜ存在しているのか」という問いを僕らはあまり感じないで暮らしています。考えないで済む巧妙な仕掛けをつくって生活しています。

尹 : 仕掛けを外されたとき、その問いは僕らを直撃しますね。

森田 : そういう問いに応えようとするのが、本当は生きるということなんじゃないでしょうか。その問いのいちばん根底にあるのは、「わたくし」という存在の不可解さです。

それに自然が答えないなら、その代わりに文学で答えてやろうというのが埴谷雄高。 答えてくれないなら、「わたくし」をつくり直して、わかるようになろうじゃないかというのが僕のやりたいことです。

尹 :世の中の潮流としては、自分というものをつくり直すよりは、ノイズを排除し、「自分の知っている自分」を守りたいという傾向があるように感じます。

森田 : でも、数学や科学の世界では、ノイジーなものを全部取り入れるという流れも出てきているんですよ。

計算という概念は、基本的には下から上に積み上げていくものとして定義されます。つまり、いくつかの前提と適用していいルールがあって、そのsequentialな連続として計算が定義される。それに比べて「知性」には、計算のように積み上げたところで到達できないものがありそうです。いわば、上からおりてくるような部分が。

ところが20世紀前半に科学者たちは知性を計算に還元しようとした。
けれども計算と知性には大きなギャップがあるらしいということがその後、徐々にわかってきました。それが例えば、ゲーデルの不完全性定理であり、チューリングの停止性問題であり、さらにその後の人工知能研究がぶつかった様々な壁でした。

尹 : 計算の積み上げだけでは知性にならない。それが明らかになったエピソードとして何があります?

数だけで綴られた世界に生まれた決定不能さ

pre01_01_07_p02森田 : 例えばゲーデルは1931年に、算術を含む無矛盾な形式体系には証明することも反証することもできない命題が存在することを示しました。有名なゲーデルの第一不完全性定理です。
いわば、数学的自然には、下からの積み重ねでは決して到達できない領域がある、ということを示した。

そんなことをどうやって証明したかというと、整数論だけの言葉を使って「この文は証明できない」という文をつくることにゲーデルは成功したんです。「この文は証明できない」という文が真だとすると、これは真にもかかわらず証明できない命題ということになります。

逆に、これが偽なる命題だとすると、この文は証明できるわけですから、偽なる命題が証明できる。つまりこの形式体系は矛盾しているということになります。

尹 : 機械的で有限な、下から積み上げていく操作では、決して辿りつけない命題が現れてしまった。なんとなく理解できますが、さらに平易にお願いします(笑)
森田 : わかりました。
まずゲーデルが証明で用いたひとつの強力なアイディアが「ゲーデル数化」と呼ばれています。これは、あるひとつの形式体系の中に登場するあらゆる式や命題に数字を割り振る方法です。これによって、命題の全体が、自然数の中に埋めこまれてしまうのです。

たとえば「AかつB」という文が、「726429343という数字に対応する」とか、それぞれの文に数字を割り当てる規則を考え、「数についての文」をただの数に置き換える方法を考案した。

数学的に主張できる文は「A^B→C」みたいに長さが有限の記号でしかないけれど、すべての記号を数字に置き換えたなら、数字は無限個あるから、ちゃんとすべての文に数字を割り振れる。それだけ自然数全体というのは広大な領域でもあるわけです。

尹 : 通常、すべてを数字に置き換えると聞くと無味乾燥に感じられますが、無限個あるものに換えられることは豊かさでもある。そこはおもしろい発想ですね。

森田 : ところで、1+1=2という文章は1と1と2について語っている文章ですが、1+1=2という文章については何も語っていませんよね。

尹 : ええ。

森田 : 数字について書かれた文章は「数字について」書かれているけれど、「数字について語った文章について」は語っていません。

しかし、ゲーデルは、ゲーデル数化によって、数字について語っている文を数字の言葉だけを使って書くことに成功して、それによって自己言及的な文を整数論の範囲内につくりあげることに成功しました。

すなわち、「ゲーデル数がGになるような文の証明は存在しない」という文をつくって、その上でその文そのもののゲーデル数がGになるという文をつくった。ようは「私は証明できない」という文を、整数論の言葉だけをつかってつくることに成功したわけです。

尹 : 「ゲーデル数がGである文は証明できません」という文なのに、その文そのもののゲーデル数がGだと?

森田 :遺伝子の中に自分の情報をコーディングするのに似ていますよね。ゲーデル数という方法を使って、その文の遺伝情報みたいなものを数として埋め込み、その数について語っている文が実はその数自身だという構造です。
ごく素朴な足し算や掛け算の数の体系でさえ、自己言及できる程度の豊かな構造をもっているんです。

尹 : その構造の豊かさゆえに不完全性が現れてしまうわけですよね。

森田 :はい。でも、おもしろいことにチューリングはそれを逆手にとって、「数の世界だけで自分が自分について語れるなら、自分が自分について語れるような機械がつくれるんじゃないか」と考えた。それがユニバーサルチューリングマシンのアイディアです。いまのコンピュータのもとになった概念です。
前回話したように、コンピュータは計算するものでありながら、計算するものについて計算することができます。

尹 : 自己言及の矛盾に立ち止まるのではなく、矛盾をそのまま扱うことでコンピュータという知性が誕生したわけだ。

森田 :ごく素朴な数の体系でさえ、自分について語れるくらい豊かな構造を持っている。その自己言及が要なわけです。

コンピュータの中で起こっていることは、すごく単純ですが、自分自身について語れる程度の複雑さをもっている。そうして、チューリングマシンを計算するチューリングマシン、すなわち、他の機械をシミュレートできる万能機械、というアイディアが出てきました。

尹 : 人間は意識をもったことで、自己言及の塊みたいな存在になったわけです。そういう知性のあり方を発達させてもきた。
そういえば、計算という積み上げと人間的な知性とはギャップがあるという話でしたよね。では、人間的な知性とコンピュータのような自己言及による人工的な知性との関わりは、どういう現状にあるんでしょう?

データまるごとというグーグル的知性

pre01_01_07_p03森田 : いまの世の中は、データがとにかく溢れかえっています。データが膨大に溢れている現代のこの状況を指して「ペタバイトの時代」とも言われます。ペタバイトとはデータ量を表す単位で、1000ギガで1テラバイト。1000テラバイトが1ペタバイトで、さらに言えば、1000ペタバイトが1エクサバイトです。

グーグルのサーバーが一日あたり処理しているデータ量がおよそ24ペタバイトと言われていますが、いま全世界に貯蔵されているデータは2007年の段階でおよそ281エクサバイト。そうした膨大な量のデータを用いた知的な試みがいろいろ行われています。
たとえばグーグル翻訳やスペルチェッカーですが、あれらは僕らが今まで思っていたような知性とは根本的に違います。

グーグル翻訳で日本語から英語に翻訳するとき、グーグル翻訳はとにかく膨大なデータベースを使って、統計的な処理で翻訳をします。言語のモデルを獲得して、文法や言語構造を考えて、というやり方とはまったく違うわけです。データを膨大に突っ込むと、わかってしまうことがある。それがグーグル的知性と言われているものです。

尹 : 計算というものが下から積み上げていくものとしたら、グーグル的知性にはそれがないわけですか。

森田 : モデルがないわけです。ノイズ込みのデータをまるごとボンと投入することで明らかになることがあるわけです。
そうやって膨大なデータをとにかく突っ込んでしまおうという方法論はあちこちで活躍していて、例えばいまアメリカでeハーモニーという出会い系サイトが流行っています。

これは従来のサイトと違って、「こういう人に出会いたい」という内容を登録するんじゃありません。ひたすら自分についての問いに答えて、自分の情報を提供するわけです。どういう人が好みかとかが聞かれるわけではない。

その上で、コンピュータが過去のデータを参照して、「こういうデータをもっている人は、このようなデータをもっている人とうまくいった」という統計的な情報に基づいて、パートナーを紹介してくれるわけです。どういうカップルがうまくいくか、という余計なモデルを介在させずに、とにかくデータにものを言わせるわけです。

尹 : なるほど。互いの理想というモデル同士の合致ではないんですね。

ウォール・ストリートでいま起きていること

森田 : こうした手法は金融の世界でも多用されています。ウォール・ストリートの株取引の7割くらいは、アルゴリズムが自動的に行なっていると言われていますが、このようなアルゴリズムによる自動的な取引は、およそ1秒間に5万回という恐るべき速度で行われています。当然、人間は何が起こってるかなんて到底わからない。完全に自動的にコトが進んでいるわけです。

2009年にレキシコンという会社が金融情報をリアルタイムで配信し続けるサービスを始めました。登録しているのは人間でなくアルゴリズムです。

アルゴリズムに情報を送り、アルゴリズムがデータに反応して、1秒間に何万回というものすごい高速で取引を行います。2009年にアップルの株が30秒間に9%下がったというような、フラッシュクラッシュという現象の背後には、こうしたアルゴリズムによる超高速取引という背景があります。モデルはなく、ただデータ量とスピードだけが必要で0.001秒でも早く計算できたものが勝ちという世界です。

こうしたアルゴリズムたちをさらに育てるべく、いまウォール・ストリートではキャリアホテルといって、ホテルやアパートから人を追い出して、その中にコンピュータを住まわせるというようなことが起こっています。とにかく1ミリ秒でも早い計算のために、膨大な計算資源が必要とされているわけです。

そのようなデータを高速で転送するためのインフラを提供している会社もあります。ある会社は、ニューヨークとシカゴを結ぶ一直線のケーブルを作り、高速なデータ転送のインフラを提供しています。しかし、当然、シカゴとニューヨークを一直線で結ぼうとすれば、途中に山があったりするわけです。そういう山をダイナマイトで爆破してまで、インフラの整備が行われている。

0.001秒でも計算を早くするためだけにそういうことが行われている。しかもその計算の内容を人間が預かり知らないわけで、もはやアルゴリズムが人間の手を離れ、自律的に増殖しはじめているようです。環境まで破壊しているわけですから。

僕らが気づいていないだけで、金融取引に使われているアルゴリズムたちは、僕らが気づかぬうちに産み出してしまった「人工生命」なのかもしれないですよね。(Vol.8へ続く)


2012年1月12日
撮影:渡辺孝徳

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