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講座 聞くこと話すこと、まとまりのない話の中から大事なことを見抜く力

聞くこと話すこと、まとまりのない話の中から大事なことを見抜く力

 

 相手の話を聞くにも、自分が話すにも身体なしには始まりません。世の中では、コミュニケーション能力について様々なことが言われています。ところが身体なしにコミュニケーションはあり得ないことが、あんがい見過ごされています。

 私はこれまでにおよそ1500人にのぼる識者へのインタビューや400人近い市井の人たちへのインタビューセッションを行ってきました。その経験を通じて得たセオリーをもとに、「聞くこと話すこと」についての私なりの技と発想を座学と実技で伝えていきます。講座によっては、記憶や痛みなどを取り上げるのも、私の培ってきた観点です。

 知識やうまいやり方を覚えるのではなく、自分の身体にフォーカスした点において、他に類をみない講座だと思います。ぜひそのおもしろさを味わって欲しいと思っています。

東京や大阪、名古屋で定期的に行っていきます。また座学のみオンラインでの開催も検討しています。
ふるってのご参加お待ちしています。

各地の申し込みは以下より

東京/シーズン2
日時:2023年1月14日、28日、2月11日、25日、3月18日
会場:浅草公会堂

東京の申し込み

 

大阪:シーズン1
会場:クレオ大阪東もしくはクレオ大阪中央
2023年1月21日、2月5日、19日、3月5日、19日

<大阪の申し込み>

 

名古屋:シーズン1
会場:名古屋市公会堂
2023年2月26日、3月12日、21日、4月8日、22日

名古屋の申し込み

講座の概要

講座1   「わたしの中の隠れた意図と信念を探る」
座学:「知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中」から出てみる
実技:「話をよく聞く、リラックスして話す」を姿勢から捉えてみる

講座2   「耳を傾ける
座学:その人の話を「その人の話」として聞くには
実技:いつだって本番しかないことを知るための練習

講座3   「くっついて離れない記憶との付き合い方」
座学:体験を経験に置き換える
実技:いつもやって来る、あの緊張と不安と痛みにどう立ち向かうか。

講座4   「寄り添う
座学:距離と距離感の違いを知る
実技:寄り添うことに潜む優しさとコントロールを自覚する

講座5   「脆さと弱さを尊重する」
座学:理解することがとても難しい出来事を前にしての実践
実技:不安と恐怖と脆弱さこそが最大の資源

【料金】
1コマは90分+質疑応答30分で料金は6000円。午前午後を通しで受講する場合は1万円です。

*講座は1日に午前午後の2部制で行い、計5回10コマで構成されています。単発の受講も可能ですが、1と3がリンクしているなど、連続して受けないと講座の内容がわからないこともあります。

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以下に講座のテーマと内容を記します。

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講座1 わたしの中の隠れた意図と信念を探る

 誰かの話を聞いたり、自分が誰かに向けて話す際に、心の中で「それは良い」とか「だから悪い」といったジャッジを無自覚のうちに行いがちです。そういった予断を行っているうちは、相手を知ることができません。
相手をわかろうとするならば、まず自分が何を判断基準にして話を聞き、言葉を口にしているかを理解する必要があります。

【座学】
テーマ:「知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中」から出てみる

<講座の内容>
座学と対話を通じて以下のことを明らかにしていきます。
・自分が身につけた考えや行いがどこからやって来たのか。
・自分を否定することも大事、肯定するのも大事。どちらも両立する。
・自身の信念や信条が何かを知る。

【実技】
テーマ:「話をよく聞く、リラックスして話す」を姿勢から捉えてみる

<講座の内容>
コミュニケーションにおいて、「真摯な姿勢で臨みましょう」とか「相手が話しやすい雰囲気を心がける」といったことが強調されます。でも、具体的にどういう姿勢なのかははっきりしません。ここではコミュニケーションのはかりやすさを身体で検証していきます。
・「正しい姿勢」からリラックスした姿勢へ。
・まず自分に対して自分らしさと寛容な姿勢を許す。
・ほどける気持ちと動きやすさと自立とのつながりについて。

 

 

講座2 耳を傾ける  

 傾聴という語を耳にする機会が増えています。「耳を傾ける」と言うけれど、いったい何に傾けることが「聞く」に値するのでしょう。その行為が果たして理解につながるのは、「どういうときか」について考察していきます。

【座学】
テーマ:その人の話を「その人の話」として聞くには

<講座の内容>
相手の話をそのまま聞く。自分の思いを率直に述べる。自身の中で養って来たジャッジの基準を踏まえ、「何事も当たり前だと思わない」で聞き、話す際の重要なポイントについて説明していきます。
・「わかる」とは、身体の運動。把握と認識の違いについて。
・意味に注目しないで聞き、話してみる。
・どんなに理不尽な言動でも、その人なりの必然性がある。

【実技】
テーマ:いつだって本番しかないことを知るための練習

<講座の内容>
想定された対話の場面を実際にペアになって行ってみます。それを通じて、想定外の出来事を体験していきます。
自分の気持ちや感情を伝えることへの恐れを誰しももっています。恐れを大事にしながらも、そこから一歩進むにはどうすればいいか。その手立ても明らかにしていきます。
・最適解を探すのではなく、真摯な対話を目指す。
・「言っていること」ではなく「言わんとしているのは何か?」に注目する。
・わかるのではなく、「わかろうとすること」ができるだけ。

 

 

講座3 くっついて離れない記憶との付き合い方 

 自分と相容れない価値観の持ち主と出会ったとき、過去の嫌な記憶が蘇ったり、さまざまな感情がうごめき、葛藤が生じます。つい相手に問題があると考えたり、葛藤を解決する正解を求めます。問題は外にはなく、自分の内にあります。自分から逃げず、ダイナミックな変化をもたらす手がかりを探ります。

【座学】
テーマ:体験を経験に置き換える/リカージョンとリピートの違い

<講座の内容>
人にはどうしてもこだわってしまう過去の出来事や手放せない記憶があります。それらがあるために苦しかったり、わかってはいても物事を真正面から捉えることができなくなったりします。こだわったり手放せないのは、その人なりの必然性があります。そこを明らかにしていくのが体験を経験に転換する試みです。
・起きた事実と解釈の違いを知る。
・わたしたちが怒りを覚え、悲しみを募らせるメカニズムについて。
・感覚はわたしそのものではない。

【実技】
テーマ:いつもやって来る、あの緊張と不安と痛みにどう立ち向かうか。

<講座の内容>
苦しみや悲しみ、傷を受けた記憶は身体に現れ、それが緊張や痛み、不安をもたらします。ここでは、それらの感覚をなかったことにするのではなく、大事にしつつそこから離れる道筋をペアに組んでのワークを通じて見つけていきます。
・圧迫感と拘束感の中にわたしの自由を見つける。
・身体まるごとで記憶と対話する。
・体験やそれがもたらす反応に引きずられることなく、自分への信頼という経験を得ていく

 

 

講座4 寄り添う

 “寄り添う”という語も近年よく聞くようになっています。「わたしの望むように寄り添われたい」という願望に応えることがコミュニケーションでしょうか。もしくは優しさでしょうか。コントロールされることを受け入れるのは、寄り添うことなのでしょうか。
わたしとあなたの隔たりについて知らなければ、寄り添うこと。理解することにならないのではないでしょうか。

【座学】
テーマ:距離と距離感の違いを知る

<講座の内容>
共感は人を知るための唯一の道ではありません。共感できないからこそ、より深く自分を相手を知る試みが始まります。自分とは異なる人に近づくための敬意と警戒の重要性について伝えていきます。
・わたしとあなたの違いと隔たりを尊重する。
・自分から相手を観る/相手から自分を観る。
・すれ違うことの大切さ。

【実技】
テーマ:寄り添うことに潜む優しさとコントロールを自覚する

<講座の内容>
寄り添う気持ちだと思っての行いが、無自覚にも相手を自分の思い通りにコントロールすることになり得ます。寄り添うことと自立の尊重について、身体を通じて検証し、体感していきます。
・自分から相手を観る/相手から自分を観る。
・反応しない。でも応変は必要。
・付かず離れずを大事にする。

 

 

講座5 脆さと弱さを尊重する

 正しく物事を認識し、正しく解決していく。そうした正しさは、果たしてわたしたちのあいだに横たわる「わかりあえなさ」を埋めてくれるでしょうか。理想の正しさの実現ではなく、いまの正しくもなく脆く弱い自分から始める。それが真摯な姿ではないでしょうか。

【座学】
テーマ:理解することがとても難しい出来事を前にしての実践

<講座の内容>
自分が体験したこともなければ、想像したこともない出来事を目の当たりにしたとき、つい自分の安全圏からジャッジしたくなります。それは身を守るためではありますが、保身が過ぎると新しい変化を拒絶することにもなりかねません。常に変化し続ける自分を受け入れるにはどうするべきか。そのことについて考えていきます。
・被害者と加害者と解決者と観察者の立場について。
・傷つきやすい繊細さよりも脆弱な自分を大事にする。
・忘れらない記憶との和解。

【実技】
テーマ:不安と恐怖と脆弱さこそが最大の資源

<講座の内容>
グループでの対話という実践を通じて、リアルタイムで自身の強みだけではなく、脆さや弱さを観ていきます。反省や悔悟に引きずられるのではなく、瞬時に改める実践を体験していきます。
・過去や未来にタイムリープしない。
・不安と恐怖と脆さ、弱さの隙間を観る。
・わたしが何よりわたし自身であることから始める。

 

 

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グループインタビューセッション/東京2022年1月30日 

定員に達しました。

グループインタビューセッション
日時:2022年1月30日13時〜17時(途中休憩あります)
場所:上野駅近辺(参加者に追ってお知らせします)
料金:8000円
人数:9名
申込先:こちらのフォームから申し込んでください。

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普段、私はひとりの人を相手に話を聞く、インタビューセッションを行っています。インタビューセッションとは相手の話すことを「ただ聞」くという試みです。「そんなことは簡単だろう」と思うかもしれません。

けれども、だいたいは相手の話を自分の経験で培った良い悪い、正しい誤っているといった基準でジャッジしているだけです。

インタビューセッションはカウンセリングでもなく、問題解決策の提案でもない。ただその人の話を「その人の話」として聞いています。(体験者の感想はこちら
そこで本題のグループセッションとは何か?です。

グループインタビューセッションは何をもたらすか?

自分が身につけた善悪正誤を自覚なしに話し、聞いているとしたら、世間のいう「コミュニケーションが大事」の実態はどういうものなんでしょう。本当は聞いていないし、マウントをとっているだけかもしれません。
グループインタビューセッションの目的のひとつは無自覚に話し、聞く行為がどのような習慣で養われたのかを知っていくことです。自分が気づかないうちに使ってしまう文句、たとえば「そうは言ってもー」とか「結局はー」といった言葉は何を意図しているのか。相手を通じて自身を省みていく時間と言えます。

グループインタビューセッションの進め方

グループインタビューセッションは、参加者がテーマに沿って話したいことを話し、聞く側はただそれを聞きます。意見の押し付けでもなく、共感のアピールでもなく、承認欲求を満たすための言葉遣いをする必要はありません。

今回のテーマ「経験とことば」

「経験とことば」について感じるところを互いに述べ、聞く時間にしたいと思います。「◯◯が正しいと言っていたから」「自分の経験ではー」といった、わりと使いがちなフレーズがあります。どちらもただ話をし、聞く上では不必要です。
というのは、誰かに寄りかかっては相手の話をそのまま受け取ることにはなりませんし、自分の経験に従うのはジャッジであって、やはり人の話をきいてはいません。果たして経験は善悪是非を認めさせるためにあるのでしょうか。

セッションを進めるルール

・自分が話したいことを話してください。
・「ここでは何を話しても大丈夫だ」という安心と安全が得られる時間と空間になるよう皆さんの協力が必要です。
・聞き手はただ聞いてください。
・質問する際は、意見の押しつけや善し悪しの表明でないかに留意してください。
・共感に力を注ぐことは理解への道のりではないと頭の片隅に置いてください。
・話す人も聞く人も解決に向かおうと焦る必要はありません。
・つまり何を話しても大丈夫です。

私は話の流れに沿って質問を行ったり、またヒートアップした際に介入することはあるかもしれませんが、基本は参加している参加した方がセッションを続けられるよう、雰囲気を整えることに傾注します。
皆さんの参加をお待ちしています。

 

グループインタビューセッション申込先

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【もどかしいままで書く文体講座】

インタビューセッションを受けた方からの要望に応え、連続5回の個人向けの文章講座を行います。

「もどかしいままで書く」と題したように、この講座ではうまく書くことを主眼にしません。というのは、うまく書けないからうまく書こうとしても、その試みは大抵は「あれこれと書きあぐねている状態」をもたらすからです。

その時、頭の中がボーッとなったり、モヤモヤしたり、身体が悶え、捻れる感覚を覚えるでしょう。頭だけで考えると、その状態はすぐに「うまく書けない」から「ダメだ」と即断してしまい、壁に行き当たっておろおろするか。諦めるかのどちらかになりがちです。

この講座では「ボーッとなったり、モヤモヤしたり、身体が悶え、捻れる感覚」から生まれてくる「何か」こそが自身が言わんとすることを含んでいるという前提で進めていきます。

まずは、書き始める前の自身の観点やそれを支える価値観や信念、信条を取り上げ、自らが繰り出す言葉の由来を明らかにしていきます。何をどのように捉えているか?がわからないままでは、うまくなりようもないからです。
以下に各回の講座内容について説明します。

1.善悪正誤と培われた信念がもたらすストーリー
・自身が育ててきた価値観や判断基準の由来を探ることで、物事の捉え方を明らかにしていきます。

2.認識と把握ーうまく書こうとする前にやるべきこと
・実際に書く前に培ってきた価値観を対象化し、観点をどのように定めるべきかについて考えていきます。

3.「書くための型としての観点:アングル、ムービング、ガイド」1
物事をどのように捉えることが文章を書き進める上で重要なのか。これについてあらかじめ課題の作文を書いていただくことで考えていきます。

4.「書くための型としての観点:アングル、ムービング、ガイド」2
 3回目の内容をさらに深めていきます。

5.自己との対話ーもどかしい身体で書く
・外部の情報の切り貼りではなく、自身の経験と体感を踏まえ、感じる→思う→考えるのプロセスを経て文章に至る道を捉えていきます。

【講習料】
1回90分 :2万円(交通費と会場費を含む)
講座は東京や関西で考えていますが、遠方にお住まいの方には、オンラインも受け付けます。
料金は1万5000円です。

お申し込み、お問い合わせは以下よりお願いします。
nonsavoir@gmail.com宛に氏名、連絡先を明記の上、お送りください。

なお講座が終わるたびに継続するかどうかお尋ねします。途中でやめても構いません。
また、詳細について不明なことがありましたら、その旨も表記ください。

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インタビューセッションの動画を公開しました

ある日のインタビューセッション」の動画を公開します。
インタビューセッションは「対面・オンライン・散策」を行っていますが、そのうちの「散策」の模様を撮影しました。

どういう雰囲気か少しは伝わるかと思います。

関心のある方はこちらよりお申し込みください。

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ブログ 雑報 星の航海術

こまちを巡るあれこれ

友人らとその息子のフーちゃん(2歳)と動物園へ行き、ひとしきり楽しんだ帰りに焼き鳥を食べ、「アイス、食べたーい」というフーちゃんの希望に叶えるべく店を探し当てたものの、あいにくの夏休み。

「残念だねー」なんて言って、ふと斜め向かいを見るとパッピンスという韓国の氷菓が食べられるカフェを見つけた。お店も広めだし、じっとするよりは走り回りたがるフーちゃんには御誂え向きの雰囲気なので、そこにすることにした。
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店に入った途端、女の子がトコトコやって来て、フーちゃんに何か話しかけるよりも先に、ボディコンタクトを積極的に仕掛けてくる。全身がこれ興味津々という感じで、顔がくっつく距離に近づいてくる。何か話しているのだけど、聞き取れない。喃語なのかな?と思っていたら、舌足らずの韓国語だった。
店内には、僕より少し年齢が上と思しきカップルがいて、その子は女性の膝の上に乗っかっていたものだから、てっきりふたりの子供だと思っていたら、全然違って店を切り盛りするオーナー女性の娘さんだった。聞けばフーちゃんと同じ2歳だという。

動物園でも「小さな恋の物語」みたいな同年の女の子とのいい感じの出会いがあったりと、わりと女の子受けするタイプでもあるフーちゃんは最初はウェルカムな感じで、お気に入りのプラレールの新幹線「こまち」を見せてあげようと取り出した。
たぶん、フーちゃんは自分のお気に入りのおもちゃを見せて「すごいねー」と言われたかったのかもしれない。大人はみんなそう言うから。でも、その子は違った。こまちをつと取り上げると、フーちゃんがやっていた要領で遊び始めた。

びっくりした表情のフーちゃんに母である友人は「お家でいっぱい遊べるから、お友達に貸してあげて」と言う。するとフーちゃんは「フーちゃんがこまち、貸してあげた」と言い、襟足のあたりを掻く。自分で望んで貸したのだと言い聞かせるように。また、二、三度、髪を掻きつつ「フーちゃんがこまち、貸してあげた」と続けて言う頃には、みるみるうちに目に涙が溜まっていく。ついには泣き出し、返してと手を突き出すも払いのけられる。

いつの頃からかフーちゃんは「自分でやる」とか「自分で歩く」と、「自分」を口にするようになった。ただ、フーちゃんにとっての「自分の」が意味するところは、例えば、手に取れる範囲のものを我が物にすることも「自分の」に入るようで、「自分の」の範囲は大人が理解している「所有」よりもずっと広い。

こまちを取り上げて遊ぶ女の子の「自分の」範囲もフーちゃんと同様に広い。二人の「自分の」が重なりあってしまっている。彼女もそれがフーちゃんのものだとはわかっていても、同時に自分のものでもあるので、それを取り上げようとする彼女のお母さんに泣いて抵抗する。それでもお母さんは「はい、チロルチョコあげるから、おもちゃを返して」と交換を迫ると、こまちを返した。が、しばらくするとまたフーちゃんからこまちを取り上げ、フーちゃん泣く。それでまたこまちを返す。

今度は女の子はチョコをフーちゃんにあげて、その代わりにこまちで遊ぶ。フーちゃんしばしチョコに満足するも「フーちゃんがこまち、貸してあげた」と襟足のあたりを掻く葛藤の果てにまた泣く。これを何度か繰り返す。

おもしろいことにフーちゃんは取り返そうとして腕力に訴えない。その合間にフーちゃんは女の子をハグしようとしたり、女の子はフーちゃんの頭をよしよしとしたりする。自分のものを取られたとはわかっていて、だから葛藤はあるけれど、それが敵意に発展しない。合間にチョコという贈与があったり、グルーミングじみた接触があったりする。

互いの話す日本語、韓国語は、まだ相手の意図を汲みとった上で概念を積み上げていくような、いわゆる「滑らかなコミュニケーション」とは程遠い。では、それぞれの言葉がはっきりと話せるようになれば、互いの関係がうまくいくのかと言うと、そういうわけでもなさそうなのは、二人の間では言葉が通じるかどうかは一度も問題にはなっていないからだ。

というよりも、おもちゃをめぐる一連のやりとりを問題にして、「すいませんね、うちの子が」みたいにして、言葉巧みに言えてしまうことの方が問題なのかもしれない。
所有の概念の理解にはまだ至らない、子供らの「こだわり」から来る感情の揺れやそれでも相手をよしよしと撫でるような、言葉よりも先に出てしまう感情や感性、行為のほとばしりの源を周りの大人は注目しなくちゃいけないんじゃないか。

あえて仲良くするのでも仲違いするのでもない、自然と湧き上がってその場の最適の関係性が作られる場を子供が見せてくれて、二人のことがなんだか眩しく見えた。