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カワイイものにつつまれて

最近、お気に入りの店があって、それは吉祥寺にあるネパール料理店sajiro cafeだ。

まずは店内の様子を見てみてくださいよ。

トイレの鏡に反転してsajiro cafeと映るようになってたり、トイレットペーパーにまでスタンプが押してあって、元オリーブっ子、クウネル野郎としてはキュンキュンしまくりなわけです。

こないだなんてとうとう我慢しきれなくなって、店長を呼び出し、「いったいどういう了見だ。いくらなんでもやりすぎだろう。こんなに悶えさせて!」と言いたくなったほど、僕としてはツボを押されまくっている。

そのうえ料理のほうもおいしくて(皿もかわいいんだ)、行くたびにやられちまう。店長もこれまたイケメンで「もうなんなの!」と言いたくなる。そんなカフェなのだ。

先日、勘定を払う段になり、「その皿はどこで売っているんですか?」と店員に尋ねた。そうして聞いた後でなんだか僕は自己嫌悪に陥った。

キッチンのレイアウトや照明、雑貨の使い方をしげしげと眺めているのは、今度越した先の部屋づくりの参考にしようとしているからなのだが、その一方で頭の中で膨らもうとする新しい生活への期待とやらを片端から打ち遣りたくなりもする。所詮は「売っているもの」を買うことで贖えるセンスであれば、なにほどのことがあろうと。

趣味のよい消費の仕方をまさかセンスがある、などと言うのかと、僕は僕自身に失笑したい気持ちになる。

嗚呼、こんな時代に「生活を充実させたい」「おしゃれに暮らしたい」などと思うのは狂気の沙汰だろう。そんなことにかまけていることなどありえない時代にそれを求めることは、現実を生きていないのと同じで、そうまでして虚構の花で暮らしを飾り立てることに意味なぞあるだろうか。

つり銭を貰うまでにそんなふうに思った。

購買品で埋める生活は最低限に。越した先はいまと違い日当たりがいい。ほんものの花を育て、咲かせたい。

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デリーからシュリナガルへ

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

さて、前回までは深夜にインドに着いて、ぼったくりのホテルで一夜を過ごすはめになったくだりまでを書いたわけですが、朝起きて、オートリキシャで目指したのは、ニューデリーは格安ユースホテルの集まるパハールガンジだった。

乗り合わせた日本人のバックパッカーと知り合いになり、ふたりして宿を探すことにした。

互いにインドは初めて、目にする光景は雅趣ある言い方をすれば「ペルシャの市場にて」と言えなくもないが、身を取り囲むこの喧騒と阿鼻叫喚との違いがわからなかった。

とりわけ野良犬と野良牛、野良羊がうろつき、野良人間と称するほかない人間の群れが醸しだす、バイタリティとも不穏さとも称せられるような蠢き目の当たりにするにあたっては。

道端では腰巻を巻いた半裸の男が石鹸を身体に塗りたくり、水浴びをし、その脇で子どもが大便をひりだしている。
馬に鞭をくれつつ荷車を運ぶ男が恐らく「そこをどけ!」と大音声で呼ばわった先には、全身に瘤のできた男が這いずっている。

瘡蓋に覆われた犬が地にだらしなく寝そべり。肉屋の前では断たれたばかりの羊の頭が据え置かれ、じき蝿が群がる。

道路にどかりと腰を押し付けた牛を警官が棒で殴る。牛は億劫がって尾を振るばかり。

後にそういう打擲する光景を散見するが、牛はヒンドゥー教では神の使いであり、神聖な生き物だというのは表向きの話なのか、けっこうぞんざいに人間に扱われていた。
そして警官は牛を殴った警棒で、しばしば群衆を打ち据えていたが、牛と同様にためらいを見せるそぶりはなかった。

日本のように「あれを買え、これを買え」といった欲望を掻き立てるネオンや看板、「整列して乗車しろ」とか「車が曲がります」といった精神を眠らせ、摩滅させてしまうような情報は少ない。

が、欲望の原点にある生きることに関するあまりに剥き出しな、生の姿が圧倒的で、情報過多ゆえに目を開けていられない。

騒音という一塊の荒っぽい把握で耳を満たすことなく、かりに細かい音をいちいち追おうものなら、ただでさえ過剰な視覚からの情報と相まって、呼吸困難に陥りそうになる。

人間が環境から受け取る情報量は毎秒1100万ビットで、そのうち意識が処理できるのは40ビットだそうだ。
極寒の地で金属に素手で触れれば、皮膚がはがれてしまうように、処理できないが確実に40ビット以上の存在の気配みたいなものに気づいてしまって、そこにうかつに触れてはやられてしまう。

だから現地で出会ったばかりの僕らは、日本では考えられないくらいの早さで、関係を、親密さをなんとか取り結ぼうとした。互いが共有していた日本という地と日本語で確認できる世界観をあいだに挟むことで、この目前のカオスに対する構えとしようとしたのだと思う。

共同トイレ、共同シャワーの安宿を借りた2日ほどは表に出て食事をするだけでヘトヘトになったが、3日目くらいからは、手づかみでダールとチャパティを食べることも、排泄では左手で桶の水を注ぎつつ、右手で尻を拭うことにも慣れた。

カオスとしてしか把握できなかった現象も落ち着いてくるほどに、規則性を見いだせるようになる。
いくらデタラメな言葉を思いつきでしゃべることができたとしても、(たとえばハナモゲラ語で)ある程度の時間が経つとそこに周期的なパターンが見られることに似ているだろうか。

そもそも徹底的にランダムな行為しか生活になければ、インド人とて精神は四散し、日常を送ることなどかなわないだろう。

というより、カオスに見えたのは、日本で培ってきた文化体系という慣習から見てのことであり、慣習という「癖」からしたらインド人の振る舞いが混沌に見えただけで、だから実際に僕が経験したのは、自分の価値観の混乱を「カオス」と呼んだ出来事だった。

カオスに身を置くことは僕の青春ノイローゼの克服を主眼とする旅においてぜひともしなくてはならないことだった。

インドを訪ねた初日のように不安は心のうちのそこかしこで頭をもたげたが、いっそう恐れたのは、インドに来てまで新たな慣習に馴れ、自分の従来組み上げてきた意識が落ち着きを見せ、馴れ馴れしくしなだれかかるような、安心できるパターンを見出すことだった。

たった3日で何がわかるというものかと今にして思うが、この旅は自分の身が引き裂かれ、軟弱な精神が焼き切られてなんぼというテーマがあったので、インドに来たというのに「ここではないどこかへ」の思いを募るばかりだった。

だが人間はよくできたもので、そういう心性にはちょうど見合うような出来事が起こるものだ。

市場を歩いてたら旅行代理店のオヤジに声をかけられた。オヤジはいう。

「そこの若いの、ジャパニーズよ。インドへ来たからには、ぜひとも行かなくてはならない避暑地があるぞ」

僕はジャパニーズではないし。というか、そもそも春先でまだまだ寒いのに避暑地っていう勧め方はおかしいやろ。そう思ったものの、オヤジが見せたパンフレットには美しい湖とハウスボートに泊まれるとうたっている。その地はシュリナガルという。

湖に浮かべたボートに泊まる。物売りがしょっちゅう訪れる

初めて聞く街の名だったが、ここではないどこかでさえあればいい。僕は方途をシュリナガルに定めた。

後で知ったことには、パキスタン国境に近い紛争多発地域だということで、あまり行かないほうがいい場所だった。特に91年当時は。

そういうことも知らず、飛行機の窓から眼下にヒーマラーヤを眺めつつ、シュリナガルへ向かった。

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西荻窪へ

千駄木に住んで8年になる。
その前は歌舞伎町に3ヶ月くらいいた。

歌舞伎町に越すまでは、江戸川区は平井という(誰も知らないであろう)土地で2年あまり過ごした。
海抜ゼロメートル地帯の、このそよとも風の吹かぬ街での、魂の削られるような暮らしを、かつてある出版社のウェブサイトで「平井苦力伝」というタイトルのもと一年あまり綴ったことがある。

綴ったというより終始罵倒していたというほうが正確だ。

たしかに越した当初は森茉莉よろしく貧乏贅沢ごっこに精を出し、街の光景の見立てに勤しんだ。

が数日で挫折した。コンビニとアコムとパチンコとマクドナルド。快適な現代生活を送る上では何の不足もない。すべてそろっているが徹底的になんにもない。

おまけに和食の店の看板が蛍光イエローみたいな色というような奇抜なセンスが街を特徴づけており、そういう景色がそこかしこに見て取れてしまっては、その暮らしのなりたち到底理解しがたく、僕の脳内のシナプスは接続を拒否し続けた。そんな2年だった。

生まれも育ちも平井の友人は、僕が連載中に書いた「この街には外部がない」に衝撃を受けたらしく、のちに区議会議員に立候補した。いまは街に文化を醸成すべく、現在、二期目の議員として活動している。

それはともかく。

平井のアパートの更新が近づき、「これ以上はもうここに住めない」と思ったものの、次に住むところが遅々として決まらない。そこで知人のライターさんの事務所を間借りすることとなった。

それがまた歌舞伎町の通称「ヤクザマンション」と言われるところで、『殺し屋イチ』のモデルとなったマンションだった。

統計をとったわけではなく、(とれるわけもないが)体感としては、住人の9割はヤクザ、あとの1割は娼婦のお姉さんだった。越す前はそんなところだとは知らなかったが、行く場のない身としては、とりあえず慣れるしかなかった。

マンション内で会った人には、一面識もない人であっても、とりあえず大きな声で「おはようございます!」と体育会系か和民の店員のノリで挨拶した。中には「おぅ」と返してくれる人もいたが、基本は和やかな対応は期待できない。数が月前に非常階段の踊り場で発砲事件があったと耳にしていたので、緊張感は募った。

ある朝、隣のドアをどんどん叩く音で目が覚めた。
あまり好奇心の赴くままに行動したらどんなとばっちりを受けるかわからない。ドアをほんの少し開けて様子をうかがうと、スーツ姿の男3人が拳でドアを叩いている。すわ抗争か?と思ったが、「東京地方裁判所の者です。いまから強制執行を行います」という言葉が聞こえた。とりあえずそっとドアをしめ、布団に潜り込んだ。その後、何が起きたのか知らない。

獰猛な鮫が回遊しているようなマンションであったが、管理人室には「暴力団追放」というポスターが堂々と貼られていて、とても奇妙な空間だった。
おもしろいけれど、長居するようなところでもないので、早々に退去した。

あれから8年。
千駄木に隣接する谷中、根津を加え、谷根千と呼ばれるここら一帯は、散策するにはいいところだ。

近年はミシュランに紹介されたこともあって外国からも人がよく訪れる。東京大空襲の影響をあまり被っていないことから路地にそこはかとなく江戸の匂いがかすかに残っているのも彼らの鼻孔をくすぐるのか。

古い寺町の面影だけでなく、カフェや雑貨なども充実しており、また惣菜や肉、パンといったここに住む人のための日常の食品もそろっており、とても暮らしやすい街だ。

このところ週末ともなれば各地からの観光客が非常に増え、それに従い街の色合いが観光に傾きがちな気配を感じる。良い悪いではないが、土地に根ざした固有の力が以前より軽減した感じがする。

街にとってはありきたりのことだが、訪れたものがそこに何かをうっかり見て取る。それが土地の魅力だろうと思う。しかし、期待されている像を見られる側がなぞり始めたら、感知されていた何かの力の衰退は必定だ。

好きな街だがいったん離れてみるのもいいのではないか。そう思って来年早々に越すことにした。

次の地は西荻窪。何が始まるのか楽しみだ。

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隙だらけのカモ

伊丹空港まで見送りにきた母親は、なぜかいまどき懐かしい金平糖の詰まった袋を僕に渡すとこう言った。

「インドって貧しい子どもたちが多いんでしょ?こういうのあげると喜ぶんじゃない?」

彼女はとても無邪気な人で、心からそう思って言ったのだ。
だが当時の僕はある種の素朴な善意というものをイノセントがゆえの悪意としてしか受け取れない、ものすごく誤訳の多い変換能力しかもちえない時期だったので、空港内に入った途端、「アホか!」と金平糖をゴミ箱に突っ込んで捨ててしまった。
いまにして思えば悪いことをしたなと思う。

若い頃には誰しも存在と認識の問題にぶち当たる。
つまり、「私はなぜ存在しているのか」「存在するとはどういうことか?」。

タイで見聞した事柄は市場の力で撫で斬りにされて自活する能力を失った人たちや自分たちの生活様式を逼迫するシステムに同調しようとする人たちの姿であり、もっとも困惑したのは、貧困を強いられる人と貧困を強いるゲームに積極的に参加することで貧困から脱しようとする人とが同じプレイヤーであったことだ。そして、そのゲームに僕も参加しており、たまさか時流にのってゲームに勝っていた国に生まれ育った。

なぜ僕が日本に生まれて、ラフ族の彼や農村の彼女はそうではなかったかのか。「親がそれぞれの国に生まれたから」という答えでは満足できるはずもない。

それぞれの存在がなぜそういう境遇のもとで生まれ、生きなければならないのか。
運命というものが予め決定づけられているのであれば、人の存在に自由も選択もありえないのではないか。

直感的にこの問題について、万巻の書を読んだところで答えを得られるはずもないとわかった。何か体感を通じてほか迫ることはできないだろう。しかし、いったい何を体感すればいいのか。皆目見当がつかなかった。

存在の問題に身体を通して取り組むために格闘技や武道を選んだわけだが、そう言うと訝しく思う人もいる。むしろ哲学や宗教を学ぶべきではないかと。

自分に対する相手は、決して自分の思惑通りに動かず、それが自分に肉体的に心理的な脅威として迫ってくるとは、ある種の運命のようなもので、では、差し迫った状況の中であっても、自分の存在を保てるか。自由に主体的に行動できるか。それが如実に問われる瞬間が武にはあるはずだと思っての選択だった。

だからといって短日月のうちに自分の望むような答えが得られるわけもない。もっと自分を動揺させ、変化させるような経験が必要だ。安易だとは思いはしたものの、旅に出ることにしたわけだ。

それにしても旅の前に読むのは、『インドでわしも考えた』とか『河童が覗いたインド』くらいにしておくべきだった。
ただでさえ生真面目になっている頃に『印度放浪』なんて読んだものだから、「この旅で生きることの意味なり存在の意義について何か自分なりの答えというものがつかめなかったら、死ぬしかないんじゃないか。路傍で犬にでも食われるほかないのではないか」と思いつめてしまった。

当人は求道者よろしく眉間に皺寄せて始まった旅だったが、インド人からすれば、僕に関する景色は「なんか硬直した感じでコミュニケーション能力低そう」でしかなかったようだ。

ようは隙だらけのカモだった。

思いつめるとは、直線的な思考しかできなくなるということだ。
直線的な思考は、的を射にかかってのことだが、そこで忘れられているのが、的は自分の思い描いたところにないという事実で、したがって百発すれば必ず外れる。

そして単線的な思考は外に出力される際、つまり身体上の表情には、含みも奥行きもない佇まいとしてあらわれる。

そうなると分かる人には「こいつは浅い反応しか返さないな」ということが手に取るようにわかるので、そういう類の人間を特定の状況に巻き込んで、思い通りにコントロールすることなど造作も無いことだ。

深夜にデリーの空港についた僕はまさにその状態で、出会ったばかりのインド人に「おまえの泊まろうと思っているホテルはもう営業していない」「あいつはおまえを騙そうとしているから、おれに任せろ」と、ことごとく手玉にとられ、わずかな距離をタクシーで移動するに10ドルもとられ、ホテルは30ドル近い料金を請求されと、景気のいい時代のパチンコ台かというくらい、出血大サービス状態のフィーバーだった。

「もっと人との柔軟なやり取りを学んでおくべきだった。ドトールとかで」と思ったところで、すでに遅い。インドでの災難の歯車はすでに回り始めた。

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卜占とエクスタシー

先日、ふと思い立ち、香取神宮へ参りに行った。
香取に鹿島といえば武の神であり、またふたつの社とも地震を起こす大ナマズを封じる要石の存在で有名だ。

大ナマズを鎮める要石。思いのほか小さい

あいにく香取神宮に御座した神は、いずくにかに去った気配が濃いものだった。その名残を求めて境内を逍遥したところ見事な杉があり、しばし眺めていた。
木も樹齢数百年ともなれば、霊性と呼ぶしかないような何かが宿るようだ。

これまでに表あるいは裏の世界で異能者と呼ばれる人に会って来たことと、加えて巫祝を生業にしていた祖母がいたことから霊性に関することや卜占、そのほかスピリッツ等々について見聞することは嫌いではない。

むろん、巫祝の世界にはピンからキリまでおり、圧倒的に偽物が多いことは承知している。

だからといって孔子が出自である巫祝を激しく嫌ったようには、贋物を糾弾する気にはなれない。
イワシの頭もなんとやらでフラシーボで救われる人がいるんなら、方便として時にはイワシも必要なこともあるだろう。

正論や権威ある真っ当な見解のピースを当てはめていけば、生の絵柄が充実してしまえると思うのなら、よほど世知に疎いか人間を舐めているか。ある種の高の括り方を揺るがされた経験がないんだろうと思う。これは僕の偏見だが。

確かに触れることのできない世界を毛嫌いする気持ちもわからないではない。
だが、そうした反駁するに使用する言葉、漢字からして、その揺籃を巫祝において過ごしている。

漢字は約4000年前、殷代に獣や亀甲に刻まれた甲骨文字や金文に始まる。

これらの文字に託された世界を実感させる力を、かの白川静は呪能と呼んだ。


呪と聞いて僕らはただちに呪いを想起する。しかし、呪とは「祝う、念じる、どこかへ行く、何かを探す、出来事が起きる」といった、人が現実に働きかける際に抱く強い願いや思いを意味する。

甲骨文字に白川は呪能を見て取った。なぜなら、骨に刻まれた文字が「貞卜」にほかならなかったからだ。
貞卜とは、卜占のことだ。

卜占では、甲骨に傷をつけ、裏面から灼く。主に縦方向に規則的に走るヒビによって吉凶を占う。
その際、前もって占うべきことがら「貞辞」を甲骨に刻むのだが、これが「最初の呪能文字」「神聖文字」であり、5000種あまりが確認されている。

貞卜や貞辞は非科学的な迷信であり、呪能などは現代とは無縁の心性に思えるだろう。

サイバネティックスの研究者であるグレゴリー・ベイトソンによれば、ガラスのように均質で純度の高い物質になればなるほど、その割れ方は予測不能だが、あらかじめ傷をつけておけば、ガラスの四散の仕方はおおむね予測可能になるという。

つまり、獣骨や甲羅につけた傷は、人が世界の運行に対して立てた仮説であり、ヒビ割れは実証結果である。仮説と結果とのズレによって、占うもの、願うものの可能性を量ることができる。

ヒビは現実と願いの差を示すサインだと理解すると、貞卜の示す古代世界の呪能がにわかに生々しく感じられる。
その気配を感知したとき、眼前の杉は「杉」という語には収まり切らない、うごめきを始める。

人間にとって不可知の世界からの応答を焼きつけたものが漢字であり、そこには古代の祭祀と習俗の記憶が刻まれている。

そうした記憶の断片に感電するとき、僕はしばしダイモンに語りかけられるような心神の喪失を覚えるのだ。