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2010年12月27日 vol.8

 しばらく続けている「2010年12月27日」というタイトルのそもそもは、建てない建築家であり作家ありミュージシャンであったり、新政府総理大臣(休職中)でもあったりする坂口恭平さんとの出会った日から始まった回転についていろいろ書いているわけだけれど、僕が彼と出会ったことで発見、それは新たに発見したというよりも再発見したことは、人間の能力についてだった。

 僕らはこの“能力”というものについて誤解をしている。

 彼は会うたびに繰り返し同じ言葉を使い違う調子で、あるいは異なった言葉で同じことを話す時期があった。それは「いまのまま何も変える必要はない」ということと「新たに飛んでみる」で、一見矛盾しているように聞こえるけれど、僕にとっては和音のような響きとして聴こえたので、「同じことを言っているのだ」と感じた。
(僕はいつも人の話の意味を聞き取っていなくて、ほとんど音楽みたいに聴いているらしい)

 「いまのまま何も変える必要はない」のは、能力というのは付け加えたり、獲得するものではなく、もともと備わっているものだからで、実際、誰も呼吸をする能力を生まれてから練習して身につけたわけではない。その元からある力がただ発揮されさえすればいいのだし、それが生きていくということであり、ただ生きることがアートになるのだ。そう彼は言う。

 そして「新たに飛んでみる」とは、生きるというのは昨日の続きを生きるわけではなく、日々新たに生きる、未知の領域に真正面から何ももたずに挑むほかないことだからで、つまり日常が冒険以外のなにものでもないのだし、ただ生きることがもっともわけの分からなさの只中で生きることになるからだ。
 
 僕らが身につけている常識は、これらふたつのことを疑う。疑うことが穏当なことだと受け入れるよう僕らを眠らせる。

 何かを実現するためには努力が必要だと僕らは思い込まされている。家庭でも学校でも、まず何もできないことを認識させられた上で「できるようになる」努力をするよう促される、強いられる。
 考えてみれば息をするのも立ち上がるのも話し始めたのも誰に命じられたわけでも努力したわけでもないのだが、社会のひな形に合わせて生きることが人生だという思いなしを受け入れたときから、努力と獲得、所有という概念を身につけるようになった。

 そして「新たに飛んでみる」ためには、抜かりない予測と計算が必要だということで、僕らはお行儀よく人の話を聞くことを覚え、ついには過去の知識から未来を眺めることを新たな世界の発見だと思いさえするようになり、実際に飛ぶことは脇において、頭の中だけでジャンプしたつもりになりさえした。

 どっちにしたって何も現実と触れ合うことなく生きてしまえるし、その安楽さが自分の中の野性を殺すことになり、僕らは緩慢に自殺に近いことをある時期から強いられているも同然の精神で生き始めている。恐ろしいことにそれを成熟や成長とさえ呼んでいる。

 みんな笑うのは、何もせずとも努力抜きに生きられるなんてあまりに夢見がちな話に聞こえるからだ。でも僕はのちに鹿児島の障害者支援センターの「しょうぶ学園」を知って、生々しい現実を知った。そして確信した。能力というのはもうすでにあるのだし、生きていく、生き延びていくための準備は充分になされているのだと。

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2010年12月27日 vol.7

 就職活動というものを学生時分試みたことがある。
 京都の老舗の木材問屋に船のエンジンをつくる会社、食品メーカーとなんら共通したところがなかったのだが、それもそのはずでいったい自分が何に向いているのか、何がしたいのかがまったくわからなかったからだ。

 いまどきの学生のようにエントリーシートを書きまくり、100社くらいまわることからすれば、食うことよりも適性だのやりたいことだのを優先させるなどは、バブル世代の太平楽さと失笑するかもしれない。
けれど、やっぱりそれでも思うのは、やりたくないことをして暮らすのを厭うのに世代なんて関係ないってことだ。

 ただ失笑されるにも理由はあるだろうなと思うのは、成人したにもかかわらず、己一個の力で世間を渡っていくことを微塵も考えなかったからだ。

 考えるとすれば就職、というか会社に入るための算段だったけれど、それも真剣なものではなく、夏の暑い盛りにスーツを着なくちゃいけないだとか満員電車に揺られて通勤するのが面倒だとか、とにかく「しなければならない」ことが満載の生活を思うだけで、とにかく苦痛で早々に止めてしまった。だったら自分の力で生きていくしかないのだけど、そう思って我が身を振り返っても、何も持ち合わせていない。

 そうであれば資格を取るだとかの方向に舵をきって、「具体的」に考えればいいのだろうが、その「具体的」というものが、僕にはまったく魅力に感じられなかった。
 感じられないという理由で、生活という抜き差しならない現実を捉えてしまえるのが、苦労知らずのアホボンのアホボンたるゆえんだろう。

 会社に勤めることや資格を取ることを億劫に思うのは、深く考えた結果ではなく、考えよりも先にやって来る生理的な判断だった。
 おそらく「社会に出るには社会的に評価される能力を身につけなくてはいけない」という、いつの間にかみんなが当然と思ってしまうルールみたいなものへの生理的な嫌悪感があったのだろう。

 この生理的というやつは「確かにそう感じる」という意味で非常に明確だし強いのだけれど、振り上げた拳みたいなもので落着するところがない。だから感じたことに引きずられるだけで、それを踏まえた行動に向かわなかった。

 感じたことを思考として練り上げ実践する。感覚から実践までのあいだをつなぐのが、その人の能力ということになるのだろうけれど、僕は直感的に社会的身分だとか資格だとか、たかだか企業社会に叶う程度の力に見合うような能力を養う努力の方向性というものを疑わしく思っていた。

 と同時に、自分のこの思いをどうにかこうにか鍛錬しないと、ありがちな青年期の鬱屈に終わり、いずれ「若い頃あんなことを思っていたのは、世間を知らなかったからだ」という昔語りで終わるのは確実だった。そして、そういうことを忸怩たる思い半ばで言う自分がこの先あるとしたら、それは世間を、現実を知ったからではなく、自分が腐乱したからだという予感があった。それは凄く怖いことだった。

 自分に何の力もないことも怖いけれど、何かを試さないうちに「世の中というのはそういうものだ」と折り合いをつけて生きてしまうことも恐ろしかった。
 
 当時の僕がまったく見えていなかったのは、人間の能力というものとは何か?だった。

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2010年12月27日 vol.6

 思えば僕らが生きている社会は「しなければならない」「こうでなければいけない」といった概念でガチガチに固められている。
 社会に配置されたシステムとは畢竟、概念を生きるということで、努力しなければいけない。ちゃんと言うことを聞かないといけない。正しいことを言わないといけない。言われた通りのことをきちんと理解し、できるようにならないといけない。
 そうした徳目を身につけた挙句、ついには働いてお金を稼ぐという生き方に自分の寸法を合わせることを「生きる」ことだと、いつしか思うようになった。概念が増えた。そして身動きがとれなくなった。
 
 何かのための何か。身につけるべき何かはたくさんある。ただひとつ軽やかに生きることができなくなった。
 まったく晴れ渡らない景色が僕らの前に広がっている。僕らは言い訳をたくさん覚えて、行儀よくはなったが、肝心要の、ただ自分の生命を生きることを放棄してしまった。

 何かを得ること。何かを覚えること、できるようになること。努力して獲得すること以外に僕らは人生は始まらないと思い込むようになった。そうじゃないと落伍してしまうではないか!

 けれども本当かな?と、ときおり僕らの中に住む誰かがそう囁く。
  “犬が自由に走れるなら、どうして俺たちにそれができない?”

 北方を目指す渡り鳥は努めて飛び立つのか。花は努力して越冬するのか。太陽は努力して昇るのか。
そして僕らは努力して息をしたり、心臓を動かしたりしているのか。

 当たり前の事実から考えてみることにした。すると努力なしに生きることは至極当然ではないかと思えてきた。
「そんなことはありえない」という自分の抱いた思いを否定しにかかる常識は僕の中にも濃厚にあるのだが、では試したことがあるのか?と問うてみれば、ないと即答できるくらい確かなことで、いい年をして言い訳を考える自分というのも意気地がない。

 ほとんどの場合、努力は他人に評価され、承認されるべく行うものに注がれている。「してはいけません」だとか「はやくしなさい」「そんなこともできないの」だとか、子供の頃からあらゆる機会を通じて小突かれ、どやされ、呆れられた結果、できあがったのは自分で自分を受容できないよくわからないシステムだった。
 そういった自分が自分を否定するシステムをもった同士がコミュニケーションを取ろうとすれば、それは承認を求めての、飢餓感の表現でしかなく、そうすると普段僕らは何をやり取りしているのだろうという気になってきた。

 他人からの承認と他人からの評価を受けるために働き、生きることが暮らしのすべてだとしたら、そんなものは生きると言えるのだろうか。

 他人に認められるべく努力するのではなく、自分に備わったなにがしかの能力を発揮すれば、誰かがそれを必要としてくれる。それは承認欲求に基づかない、才能の回遊で、そうしてこの世を泳いで渡れるかもしれない。

 僕はさしあたって匿名の仕事を断ることにした。つまり、それをするのは僕以外でも構わないような仕事や「当座のお金が必要だから」とか「あいつは使い勝手がいい」とかそういう考えで仕事をせず、ちゃんと自分のストロークで泳ごうと決めた。

 

 

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2010年12月27日 vol.5

 2011年3月11日は、ちょうどこのサイトの打ち合わせで新宿にいた。
 それから数週間、いや5月くらいまでの記憶は断片的で、たとえ記憶していたとしても時系列がめちゃくちゃで、そのときに起きたことかどうか怪しい。
 当時の行動で唯一記録からわかるのは東京に大量の放射性物質が流れ込んだ15日、吉祥寺へ向かったことだ。坂口さんが吉祥寺の駐車場に建てたモバイルハウスを見学しに出かけた。

 それ以外で確実に覚えているのはあまり食欲はなく、水に浸した玄米を手ずから掬って食べるか。パンを齧る程度で充分で、かといって元気がないわけではなく、あまり眠らなくても活力に満ちていた。

 

 ネットを通じて見ていた政府や東電の記者会見は故意にか、あるいは無意識にかわからないけれど、事実を訂正し、編集し、前後し発表することで、何が信頼に足る情報なのかを歪ませ分断して伝えていた。
 あのとき信じられたのは確実な情報ではなく、自分が生きる方へ歩み出せるかどうかの生命力だった。

 さっさと東京を離れてもよかったのだが、どうせならギリギリのところまで、ここで起きていることを見届けたいという思いは強く、そうするうちに2ヶ月が経った。
 その間、後手後手にまわる政府や東電のやり口に誰しも怒りを募らせていた。ネット上では非難弾劾、悲憤慷慨する声がたくさん聞かれた。

 そんな中、「新政府を立ち上げます」と坂口さんがTwitterでつぶやくと、矢継ぎ早に福島から子供を避難させるプランを示すなど新政府としての活動を始めた。
 批判や否定を止め、さっさと新しい現実を構築し始めたわけで、半年前に「選挙に出ないけれど総理大臣になるよ」と言ったことが本当に現実となったので、「あ、そうか。こういうふうに実現するものだし、現実は展開するものなのか」と深く納得した。

 電車の中で居合わせた人たちの失笑を買った「総理大臣」発言だけれど、こうして実現されてしまった事後から振り返って見ると、絵空事と僕らが断定しにかかる想像力は、空中に梯子をかけるような現実性のなさを確かに感じさせるけれど、それは現実の縁に足をかけつつ新たな現実を構成するといった、こちらにいながらあちらにもいるといった曲芸みたいなもので、こちらから場外ホームランの放物線を描いてあちらに飛んでいくボールを見上げると、続行中のプレイとは別に虹が見えたみたいなところがあって、違う現実に打球が滑りこむと歌が始まる。「いつかあの虹を越えて 歌で知った国を見つける もしあの虹を越えたら夢はかなう そんな気がして 目覚めるとわたし雲を見下ろしている 悩み事は檸檬の滴みたいに溶けた いつかあの虹を越えて鳥たちのようにあなたのもとへ いつかあの虹を越えて 歌で知ったうちをみつける
 
 現実は人の数だけあるけれど、いまここの現実はひとつしかない。可能性は無限にあるけれど、いまここでできることはひとつしかない。
 未曾有の事態が現実だというとき、昨日までを構成していた現実が今日から先に続く現実だと思えてしまうことが妄想で、するといまから自分の生きる方途を定め、決断すること以外に現実というものはないのかもしれない

 「歌で知ったうちをみつける」というのなら、僕は自分が口ずさむ歌が何なのか知らなくちゃいけない。人から歌うように言われた歌では何も知ることもできない。自分の歌を歌い出すことを始めなくちゃいけない。

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2010年12月27日 vol.4

それがカネであれ土地であれ、誇りであれブリオッシュであれ、自分が「それらのモノをなぜ獲得したがるのか?」という問いについてあれこれ考えるのではなく、問いそのものを生きなければ、それもまた概念の所有に向かうだろう。考えることに意義を見出していては、僕は生きることを放棄し、眠ったまま生きることになるだろう。

1時間ばかりの坂口さんへの取材では、聞き置くべき質疑を行なっているのだが、それとは並行して、僕の意識の流れには、そういうメッセージをが流れこんできた。

インタビュー後、国立駅に向かうべく並んで歩き信号が変わるのを待っていたら、僕らから3メートルほど離れ、同じく信号待ちをしている50代後半くらいの女性がいた。

 彼女は電話の相手にひどく苛ついた口調で怒鳴っていた。
そのとき僕は坂口さんが電話の主に対し、独特の入射角をとっている感じがした。

「あれ、この人、話しかけるつもりんじゃないか?」と思っていたら信号が変わり僕らは渡り始めた。彼女は僕らとは違う方向に進む。

「ああいう感情を剥き出しにしている状態ってすごくおもしろいよね。いつもだったら“ちょっといいですか?どうしたんですか?”と話しかけたり、お茶くらい誘うんだけど」

ああ、やっぱりどうりで。だからそういう感じなんだな。どういう感じなのかを説明するのは難しいけれど。

都会だと感情を剥き出しにする人が洗練されていないように見えるから、つい僕も煙たがったり敬遠したがる。やっぱり信号を待っているなら「待っているっぽい」感じの演出に自分が努めていて、それを周囲にも期待していて、「そうではない」空気を乱れとして扱ってしまう。

感情の揺れを乱れとして知覚し、眉をひそめてしまうとき忘れがちなのは、穏やかさを秩序化するという均した感情に自分を追いやることで、それは穏やかであるよりは権力に自分を添わせてしまっている。そのことに無自覚なのは本当は怖い。

電車に乗り込み新宿へ向かう。

ホームレスの中には冬に地下鉄の構内で暮らし、寒さをしのぐ人たちがいるがそれは地下鉄の社員だけでなく地上人は知らない。
なぜなら検索してもその情報は出てこないから。本当に重要な情報は情報にならないのだ、といった話を車中で猛烈な勢いで話す。僕は瀑布の飛沫を浴び続ける。

話は転調を繰り返し、「もうこうなったら政治家になるしかないよね」と彼は言う。「なるんなら総理大臣でしょ。でも選挙には出ないけどね」

混み始めた電車の中の周囲の人も話を聴いている気配がある。選挙には出ないが総理大臣になるというくだりでやや失笑の雰囲気を感じた。

「この前、岡田准一君のラジオに出て、坂口さんの将来の夢はと聞かれて、“やっぱり総理大臣でしょ”と言ったんだけど、それが2回目で、実はいちばん最初に言ったのは高校の同窓会だったんだよね」

坂口さんが「総理大臣になる」と口にした現場に居合わせたのは僕が3人目となるわけだ。
つまり僕が最後の目撃者でもあった。